E L E  B B S

[250] さあ始めよう!

順調だ!リハは終了!後は気合いの世界!
余談だが俺の描いたTシャツも出来た!行きはよいよい、帰りもよいよい!
以上! 上田や! 05/5/20(Fr)0:27

[249] ライブ始まります。

いよいよ、東京プラネッツ2だ。今日は現場でミーティングをした。明日は最終リハーサルだ。
いつもあっという間に当日が迫ってくる。プラネタリュウムはニ度目だがそれでも普段と違うライブはとても緊張する。この後、高台寺、七夕の百物語と変わったライブが続く事を考えるとこんなに楽しみなのに、やはり恐いと思っている自分にも気付く。
とにかく、ぐだぐだ言う前に色んな意味で良い状態に持って行こう。
ライブをやれる!うおー嬉しい!の原点に立つ。
今は長い文章がかけませんが、各地お待ちしています。是非! 上田や! 05/5/18(We)18:40

[248] 月を盗む

元ちとせの歌うゲームの主題歌を作ってくれないか、という電話が彼女のディレクターからあったのは少し前の話しだった。
ゲームはシュミレーションではなくRPGで、義経が主人公でありタイトルはgenjiだとディレクターは答えた。
僕は日本史を専攻にしようかと思った事があるぐらいなので、多分一般の人よりは少し源平に詳しい。でもゲームといわれたら正直チンプンカンプンだった。
「それゆけ~義経!八艘飛びキックだ!頼朝なんかに負けないぞ~!」というような曲を求められているのだったらどうしようかと思ったが、幸い曲はすべてお任せしますとの事だった。
ただ問題は脚本だとかラッシュとかいったものを見ない状況でエンディング曲を考えて欲しいという事にあった。どんなお話なんだろう。
僕が源平の争いを思う時、義仲と巴の事、建礼門院の事、敦盛と直実の事等、語り継がれて来た多くの物語が心によぎるが、義経といわれたらどうしても静御前の事で胸が一杯になる。
長くなるが静の事を知らない人のために取り急ぎ説明させてくれ。静は義経の彼女だ。
白拍子といって、歌って踊る事を職業としている。正に僕と同業者、今でいうミュージシャンだ。そんな彼女が京都で義経と恋に落ちる。
政変が起きなければ華やかな一生がそこにあったかも知れないであろう事は容易に想像が付く。でも兄頼朝との確執から義経軍は朝敵の汚名を着せられ京を追われる。静も義経と共に京を落ちて行く。
のちの戦国時代と違って平安時代の戦争では、家族を連れたり、彼女を連れたりして戦う者も珍しく無い。壇の浦では平家は一族そろって戦いに出向いているし、勇猛な義仲も最期の最期まで巴御前と一緒に戦っていた。
のちの日本人とまったく違う文化がそこに見てとれる。いわゆる合理主義というものが蔓延していない。
余談になるが、あの時代は精巧な車輪を発明しながら牛に引かせるという、今ならどう考えても???な牛車を発達させている。馬はちゃんといたのだ。戦争では馬に乗ってる。義経も騎馬戦の天才だった。
はっきりいって、馬は牛より扱い易く足も早い。世界中どこを探しても牛を公共の乗り物にした文化なんかないだろう。坂道が多い日本の地形を指摘する学者もいるが、京の碁盤の目の中に坂道なんか無い。ローマ軍は山にでも何にでも馬車道を敷いているではないか。
スピードに対する憧れのようなものが文化の中に無かったのだと僕は思う、いやもしかしたらスピードを疎んじる文化すらあったのではないかと思う程だ。そういった中で義経軍はスピードを重んじた軍隊だった。平家に対する連戦連勝もなんとなくうなずける。

話を戻そう。頼朝に追われた義経一行は雪の吉野山で静と別れる。これ以上の雪中行軍に静が耐えられないとの判断だ。吉野山が女人禁制という宗教上の理由もあったろう。だが皮肉な事にこれが二人にとって最期の別れとなってしまう。泣く泣く山を降りた静一行は哀れ頼朝軍に捕らえられ鎌倉に送られてしまうのだ。義経は知っていただろうか、この時静はすでに義経の子を宿していた。
鎌倉に送られたそんな静に対して頼朝は何ということであろう、ライブを要求する。
観衆が見守る中、あの有名な事件は、実はライブのアンコールで起きた。あれは彼女の即興演奏だったのだ。たぶんここまで正面きって時の権力者と戦ったアーティストは歴史上日本にはいないのではないか。ざっと見渡しても与謝野晶子ぐらいしか思い浮かばない。(日本女性は凄いのぉ)
歴史家では無い僕にとって保元の乱から始まった長い長い争いの話はここで頂点を極める。人としてミュージシャンとしてここで僕は度胆を抜かれる。

「吉野山 峯の白雪ふみわけて 入りにし人のあとぞこいしき
しずやしず しずのおだまきくりかえし 昔を今になすよしもがな」


頼朝の目の前で彼を返せと幸せな時を戻せといきなり歌ったのだ。観衆の前で非難された頼朝は当然激怒し北条政子が場をおさめたという逸話が残っている。

正に命をかけて歌っている。とてもじゃ無いが静御前と肩を並べるミュージシャンにはなれそうにも無い。
でも、願わくば何か僕にも伝える事は出来ないだろうかと思った。
僕は本当は義経と静にはどこか遠くで二人で暮らして欲しかった。手に届かぬ月を求めるより、いっそ二人で逃げて欲しかった。そんな事を思いながら「月を盗む」を書いた。ちとせにはこの話を何度もして、そして歌ってもらった。なんとも言えぬ顔をして彼女は話を聞いていた。

その後静がどんなひどい目にあったかここに書く気も起こらない。800年以上も昔の21才の女の子のお話は時を超えて今も僕達の心をぐしゃぐしゃにする。 上田や! 05/5/8(Su)13:38

[247] 無念

今回の列車事故で旧友をなくした。
僕は小学校5年の時に宝塚から川西に引っ越しをしたのだが、越したその日から友達になってくれた人だった。がさつな僕とは違い聡明で、立ち振る舞いはどこか気品さえ感じられた。
僕は彼が大好きになって毎日の様に遊んだ。
僕は旅行が趣味といえるぐらいなのだが、その始まりは彼と二人で倉敷や岡山に出かけた旅だった。まだ子供の僕達にとって時刻表とにらめっこしながらの旅は、初めてのお使いさながらで、隣の県が他所の星に思える程遠く感じられたものだった。
初めて親以外と映画を観に行ったのも彼とだった。小学生だけで映画館に行ったら補導されるかも、と言うのでチケットを買う時にどきどきしたことを憶えてる。チャップリンのモダンタイムスのリバイバル上映なんかで補導されるわけが無いという事さえわからない年齢だった。
彼から手塚の「火の鳥」を教わり、永井の「デビルマン」を教わった。世の中にハリウッドという凄い人々が集まる場所があり、世界にはキリスト教の国があって、そこでは我々と全く違う史観や道徳の中で人々が生きていると言う事、中国語で「明けましておめでとう!」は「ニイハオシンシェンハオ!」であるということ、スーパースリーやブラック魔王はアメコミであるという事、車の往来をじっと見ていたら飛び込みたい衝動にかられるからあまりじっと見ないという事、地球は一つの生命体であるという考え方があるという事も彼から教わった。
大学を受験する時は彼の下宿を基地にさせてもらった(僕は浪人生)。その辺りから全く違う道をお互い歩むようになり、近年は年賀状だけのつき合いになっていた。僕が普通と違う道にずれていったという言い方のほうが正しいかも知れない。
それでも目を閉じれば幾らでも当時を思い出す事ができる。いくらでも思い出せるのに遺影の前で彼が今何を思い、何を考えていたのかさえ全く知らない自分がいた。
「英也君 僕はあれから多くの人に出会い、色んな所へ行き、びっくりするような素敵な経験を沢山しました。きっと貴方も色んな体験を、凄い出合いをして来た事と思います。残念ながらそれを僕は知りません。
貴方のくやしさ、家族の悲しみを語る立場にもありません。
マスコミの様に亡くなった人をただ美化して語ることは、何か本質をぼかしてしまう危険性もあると思います。でも、きれいごとではなく本当に貴方と毎日の様に遊んだ日々は僕の中で今でもきらきらとひかり輝いているのです。ありがとうとしか言えない私をお許し下さい。
僕はまたいつものように歌ったり、演奏したりの世界に戻っています。そうやって暮らして行くことが使命なのだと信じているのです。」

p、s
ここにこの話を書くべきかどうかは考えた。でも皆に僕にこんな友人がいた事を知って欲しかったので書かせてもらった。
きっとだれもが色んな思いを抱えながら暮らしている。僕だって今まで悲しい事、嬉しい事が山程あった。
僕はまたライブに向かって気合いを入れて行こうと思う。気合いの入ったライブを本当にやりたい。楽しみにしていて下さい。 上田や! 05/5/6(Fr)23:02

[246] サクラ咲く

まず今年はもう一度プラネタリュウムと高台寺から始める。(行程はinformation参照)同じ事をするのではなく、同じ場所から始めると言う事だ。
前回どちらの場所からも、色んな可能性を感じていた。単発では無くここから今一度始めたいと思ったのだ。
僕は年相応にこじんまりと好きなライブを重ねて過ごしたいなどと微塵も思っていない。(笑)
いつも、ここから更に飛躍するのだと思ってライブに向かっている。たかが上田の咆哮を聴くのじゃ!
七転び八転びだ!転がり続ける!皆が聴いてくれるかぎりそうする。いや、聴いてもらうためにそうする。
お待ちしとります。 上田や! 05/4/12(Tu)23:52

[245] まだ咲かんね

かなりライブの予定等色々と見え始めて来た。もうちょい待ってくれ~。bbsにもライブとか期待の声がちらほら、ありがたいっす! 上田や! 05/4/5(Tu)0:46

[244] お騒がせ!

え~っと、いきなりbbsに大量の文章が書き込まれてて、びっくりした方もおられたと思います。BBSとfrom menbersを間違えちゃいました。すまん。
drxが整理してくれたのでこれで正常でございます。

P,S

前回の文中に於ける「順守」は間違いで「遵守」が正しいと書き込みがあった。
なる程、確かに遵守の方がこの場合は似つかわしいかも。だが順守もあながち間違いではないと考える。
順守は唯、順番を守ると言う意味では無く、道理に従い守るという意味だからだ。遵守だと少しニュアンスがかたくなってしまう。節度を問われる程の事は無いと思うのだが、、、。 上田や! 05/4/1(Fr)21:52

[243] 四月バカという直訳も考えたら凄い

こんなことを気にするのはたぶん僕だけなのかも知れないのだが、嗚呼そしてこんな事にいちいち文句を言う奴もどうかとは思うのだが、、。思うのだが、、、。

電車の車内放送でどうしても聞き捨てならない言い回しがある。

「閉まるドアに御注意下さい!」と車掌は言うのだ。
気にしない?そう、、。 じゃんじゃん、、。車内放送がどうであれ、地球温暖化にもワールドカップ予選結果にも影響はないと言われたらそれまでだ。
でも何故か僕はこれを聞くと体中の力が抜ける。電車を止めたくなってしまう。だめだ、、思い出すだけでも心がワサワサしてくる、、。
何を気にしているかと言うと、ドアを「閉める」のは、他でも無いこの放送をしている車掌本人のはずだ。勝手にドアは閉まらない。なのに彼は「閉まるドア」だと言うのだ。文中からどこにも彼の意思や行動が見えてこない。
僕には「ドアが勝手にしまるから、注意しろよ、勝手に閉まったんだから、何かあってもオラ知らんもんね」というふうに聞こえるのだ。
自分で閉めるのだから「ドアを閉めますので御注意下さい」で良いのではないか?
何故にそこまで主語を隠そうとするのだ。それともなにか?電車のドアはセンサーで開閉する自動ドアに我々の知らぬ間に変えたというのか。僕は一見丁寧でも本人の心が見えてこない表現にはぎょっとしてしまうのだ。

今日も電車の中で心を折られる車内放送を聞きながら「閉まるドア」をぼんやりと眺めていた。ドアには優先座席の順守を啓蒙しているステッカーが貼ってある。ピンクの字でこう書いてある。
「やさしさをありがとう!」
だ~!優しさは物か! thank you for your kindnessを何故直訳する!誰が誰に感謝しているのだ?!俺がレストランで煙草を吸いながら隣の席に「けむいをごめんなさい」「けむるたばこに御注意下さい」という言い方をしたとすれば逆に不快にさせないか。
気持ち悪い、ものすご~く気持ち悪いぞ。

言葉は時代時代によって変化して行く。場所や相手によっても変化する。その事はどう言葉を変更しても良いという事を示唆しているのでは無い。
繊細な物だよと暗示しているのだ。
自分の伝えたい事は一つでも、表現方法は無限だ。だから変化し続けてきたのだ。画一化のためでは無い。
なのにトラブルを避けたいのか、どこでも無難に通じる表現方法にだけ主眼を置くからこんな変な言い回しが溢れかえるのだ。
意味さえ通じれば良い、丁寧に聞こえさえすれば良いという考え方は各自の意思や行動のふくらみに足枷をつけてしまう。

ジョージオーウェルの小説「1984」に「ダブルミーニング」という言語統制の話が出て来る。今では定番の近未来管理社会の話だが、物語りの中で政府は全ての形容詞をgoodとbadに置き換える政策を施していた。
good天気good食事good気分good机、badたばこbad睡眠bad体調badピアノだ。確かに意味は通じる。更にそこから延長して、全ての行動をgood thinkとbad thinkにむりやりわけて行くのだ。
 逆らう、疑問視する、挫折する、なんかマイナス材料になりそうな言葉は全てbad thinkという言葉に置き換えられる。「今日朝起きたら体がbadしてたので、学校をbad thinkしそうになったよ」こんな感じだ。
恐いのは、それでも問題なく暮らせるのかも知れないということだ。でも明らかに個人の判断を失うということも理解出来るだろう。全ての行動は始めから勝手に善悪にわけられているのだから。

車内放送の話はもちろんここまで極端な問題では無い。でも誰がドアを閉めたのかがわからない世界では「空いたオゾン層に御注意」しなくてはならなくなる。我々が空けたのだと誰も認識していないのだから。
はじめに温暖化には影響が無いと言われたらそれまでだと書いたが、そうでもないような気がしてきた。

p、s
でもW杯の予選結果には関係ないな(笑)





上田や! 05/4/1(Fr)12:03

[242] 春のせいかしら?

bbsを覗いてみたら????な感じになっている。う~んトイレの落書きだ、、。大抵はDRX が対処してくれているので事なきを得ているが、99パーセントの人がルールを守ってくれても1%の人の気紛れでこれ程までに荒廃した雰囲気が出るのだと言う事に少し感心して笑ってしまったぜ。
bbsを作る時に協力してくれた、奥村dieや石川具幸に口を酸っぱくして言われた言葉がある。

「現ちゃん、匿名の煽りには絶対乗ってはいけない、反応される事が一番喜ばれるのだから、とにかく無視」

上田「つまんないの~」

「だめ!絶対無視、逆に小さく見えるんだからね!」

上田「は~い」

彼等の言ってくれた事にはなる程と思い、そのようにして来た。じじい呼ばわりされて18年「うえだのば~か」ぐらいでは怒らないぞ、と心に決めていたのだが、、。最近のbbsで起きている事は何か「うえだのち~び」とは違う手触りがある。つまり攻撃対象がなんなのか分からない。それどころか攻撃があったのかさえわからない。いや、もしかしたらすごい熱心なファンなのかもしれない、、、。み見事だ!
でも多分攻撃対象がわからないために、不快になっている人が既に出ているはずだ。
僕はそれが困るのだ。

匿名やペンネームだからこそ話せる事もある、仮面の面白さも僕は知っている。でも匿名、ペンネームなら何書いてもと思っているのなら、そして別に誰かに損害を与えているわけでは無いと思っているのならそれは勘違いだよ。
ましてや意図的な意味不明の行動は人を不安にさせる、実はかなりの攻撃なのだ。
例えば隣の家のドアの色をそっと夜中にペンキで綺麗にぬりかえてあげただけでかなりの衝撃を与える事ができるだろう。二回やったら引っ越す人もかなり出る。ドアを壊す必要も蹴飛ばす必要も全く無いのだ。

僕の作品の中では沢山の人が死んでるし、かなりの意味不明攻撃もしている。でもこれは作品という物なのだ。
だからこそ、責任の所在をはっきりさせて本名で活動している。覚悟を持ってやっているのだ。 トイレの落書きでは無い。

上田現に対する批判があるのなら、それはbbsで書いてくれても、少しいやだけど、いや大分いやだけど、でもでも当然 okなのだ。批判があたっていると思えば反省するだろうし、違うと思ったら反論する。そこはシンプルに機能する。
だから何か有るのなら、僕に直接名指しでくればいいのにと思いながら、名指しはいやだ~と揺れているのであった。
さて奥村と石川のいさめを破ってまで反応をしてみたウエダだが(ウタダみたいだな、、大体自分の事を名字で呼ぶ人は基本的に阿呆にみえるが、気にしない)
この実験どうなるのか!!!こわいので便乗するなよ!歯みがけよ!宿題やれよ!




上田や! 05/3/30(We)15:05

[240] もう春か~~!!!!

ここの所、更新をさぼってる。新たな動きが見えたらど~んとここに書こうと思っていたのだが、これが中々難しいのよ。
すんません!もう少し待ってやって下さ~い。 上田や! 05/3/21(Mo)21:56

[239] 言い訳~~~!

誕生日に沢山のメッセージ有難う!一杯お礼を述べたいのだけど、今スタジヲにカンズメでゆっくり文章が書けない。近日ここに書かせてもらいます!とりあえず有難う! 上田や! 05/3/12(Sa)0:50

[238] イエーイ!

うりゃ!44じゃ~~~~!!! 上田や! 05/3/3(Th)1:21

[235] えびまよ

ひどい!
いくら私が現さんが一生懸命レコーディングをしている時に食べてもらおうとおかずの7割にえびが入っている弁当を買ってきたり、大阪出張にいったおみやげにがえびせんべい買ってきたり、「これおいしいんですよ~」て天むすすすめて「だーかーらー食えねえんだよっ」、と蹴りを入れられたりしたことがあったからって(自分が好きなものは人も好き、と思ってしまう)、私が風邪っぴきの現さんにえび盛ったりする訳ないじゃないですか!
盛っちゃったのかな。てへ。いやあのエビマヨはすべて私が平らげたはず、、、。 まねーじゃ 05/2/25(Fr)22:07

[236] Re[235]:えびまよ

エビマヨを俺が食べたのかどうかは、今となってはわからん。原因はエビではなく花粉かも知れないし、風邪なのかも知れない。
ただ何故か「とめ」はこの数年俺の元にせっせとエビを集めて来る。
要は俺がエビに勝てば良いのだ!多分NHKの元会長が総元締だろう。不払いで対抗することにした。 上田や! 05/2/28(Mo)15:04

[234] 復活の日

何とか復活した。とてもじゃないが仕事していられない程だったので、一週間、本を読んだりぼんやりTVを見たりして過ごした。
正直に言うと、結構楽しかったのだ。体は確かに最悪だったのだが。なーんもしないって、中々やろうと思っても出来ない。いつもなんかしなくっちゃって考えながら暮らしている。現代の日本人が抱える病気のようなものだ。
でも考えてみたら、本当にしなくちゃいけない事なんか大してなかったりするのではないか。誰でも会社のために、学校のために、生活のために、家族のために、自分の将来のために、親の為にetc、、、といくらでもしなくちゃならない理由は作りだせるのだけど。そうやって理由をつくり出して安心材料にしているだけなのでは無いか。いや別の言い方をすると、「本当にしなくちゃいけない事」を考えない様にする為に「しなくて良い事」で埋め尽くしているのではないかと思った。

本当にしなくちゃならない事、、、。確かにむずかしいテーマだ。面と向かい合うのは中々大変だ。だが「しなくて好い事」ならいくらでも見つかる。

今日新聞を見ていたら「大阪府寝屋川市の小学校内殺傷事件をはじめ刃物を使った凶悪事件が全国で相次いでいることを受け、兵庫県川西市は21日、市内で刃物を買う人に氏名、住所、購入目的を記載した書類の販売店への提出を義務付ける条例案を24日開会の市議会に提案すると発表した。6月の公布、施行を目指す。」とあった。
更にこの市長はTVで「市民を守る為に取りあえず事件の原因を取り除く事にしたので御理解願いたい。」とも話していた。
あまりあからさまに他人の事をどうのこうのと言わないようにしようと思ってはいるのだが、、あまりに、いや、、これは、はっきり言って、、ここの市長は、、ああ『アホだ!』

この人、本気で、寝屋川の事件の原因は包丁の存在だと思っているのだ、、、。それにしても購入目的って、、。
たとえば誰が考えても間違っている行動を取る人、いわゆる重要事件の犯罪者は論外!として、俺はこの類いの人間が一番嫌いなのだ。
きっとこいつは今日まで世の中から差別をなくすために、運動会の徒競走はみんな手をつないでゴールすることを推賞して、知的差別を無くす為に成績表を全部『頑張ったね!』にしよう運動を展開し、「パパママもゴキブリだって尊い命」といった謎の美しい5、7、5の標語で町中を埋め尽くした挙げ句、駅前に「さわやか健康、地球に世界に宇宙にやさしい、緑のホール」を建築しようと税金を集めているのに決まっている。決まって無いか、、。
いうまでもなく原因は包丁に無い。包丁は凶器に使われただけだ。犯人にとっては別に銃でもカッターでも割れたビール瓶でも、ガソリンでもテポドンでも良かったはずだ。
 市長は多分この事件から何も感じ取る力が無かったのだ。そして頭の中で「何かしなくちゃ」という考えだけがぐるぐる回っていたのだろう。

実は僕の実家はこの街にある。今度実家に帰って最近自炊して無いおふくろに「たまには俺が中華でも作るよ」と言ったら大変な事になるだろう。家の包丁は使えない物ばかりだからだ。近くのダイエーに僕はペンを持って出かけるしか無い。

『 前略 市長様  

本日夕飯に中華料理(豚とキャベツのみそ炒め)を作る事を思い付き、豚バラ200グラムの切り離し、キャベツ一口大とねぎの刻み、また、しょうが、にんにくのみじん切りを行いたいと考えております。
つきましては包丁(ステンレス両刃)を購入致したくここに申請する次第です。

       2005年A月AA日  B町2-15-3
上田現            』
 
 しくしく、、、、、。                      
                                     

p、s

医者と上田の会話

上田「僕がここに通ってもう2週間になります。処方して頂いた薬は全く効きませんし、体調はかなりひどいです、歩くだけでもふらふらしてます。血液検査もレントゲンも甘んじて受けましたが、根本的に何か違うんじゃないですか?」

dr 「いや、初めは確かに風邪だった、、。ただ、あれかな、、上田さん花粉症とか過敏症とかある?」

上田「いえ、そういったオシャレな病気はないっす。」

dr 「ほんと?アレルギーとかない?気付いて無い場合もあるよ。」

上田「エビ食べたら死にますけど、、。」

dr「え、どうなるの?」

上田「いきなり倒れます、寝込みます、死んだ様になります。」

dr「可能性高いな、急に悪化したのは確か16日の夜だよね、何してたの?」

上田「いや、だから俺はエビは食べないって。16日打ち合わせして、其の後、ああ~?
あれ!ちょっと待って」

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

確か16日の夜ミーティングの後、俺は「伊藤ふみお氏」を交え「トメ」「ますだ」と飲みに行く。そして其の時の会話を思い出す、、、、、、、、、、、、、、。


とめ「ここうまいんすよ!何頼みます?」

上田「ビールじゃ、後はまかす!」

とめ「じゃあ、あれとこれとそんでもって、これもあれも」

上田「何頼んだのじゃ?」

とめ「あっ!エビたのんじゃったけどいいっすよね?」

上田「俺は食べれないけど、どうぞ~!」

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
再び病院


dr「それ、知らない内に食べてるよ、多分取り分けてもらった中に入ってたりしなかった?」

上田「うううう、、、確かに取ってもらったりはしたけど今となっては、、。」

dr「よし!アレルギーを押さえる薬に切り替えよう、これでどうなるか少し様子を見させて下さい。」

上田「しくしく、、、」

そして処方された薬を飲んだウエダは数時間後には普通に歩ける程に回復していたのであった、、、、、、、、、、って、俺に何食わせた、とめ!!!!!!

                              お終い 上田や! 05/2/23(We)2:48

[233] 気絶する程なまぬるい。

さて、笑ってくれ。今日は事務所で今年ウエダは何をしようかというテーマでミーティングをしていた。2月も半ば過ぎた時期に何やってんだろう我々は、、、。緩すぎる。
でも、ここから動き始めるので気合い十分だぜ!と言おうと思ったのだがどうも体がおかしい、、/。この二三日立ってるだけでふらふらする。気絶しそうだ、明日医者行こ、、、。

そういえば、俺は生まれて一度も気絶した事が無いな、、。酔っ払って道路や、ベンチや、公園や、駅や、電車や、店や、知り合いの家や、知らない人の家や、門の閉まった大学構内や、前に住んでた家の前で寝てしまってた事はあるが気絶の体験が無い。大体気絶と失神はどう違うのだろう。
あれ?いや、一度実家の玄関で血吹いて倒れてた事があったな、、20年以上も前の事だからよく思い出せんな。酔っ払って帰って来て玄関でこけて顔面強打して、、ははは、何だ気絶してんじゃん。使えんやつ。 上田や! 05/2/17(Th)22:34

[231] 急遽。

明日川村結花さんのラジオに顔を出して来る。18時からのFMtokyoなので聞ける所に住んでる人は聞いてちょう。 上田や! 05/2/5(Sa)21:02

[230] 鳥が見えるようになりました。

僕はミュージシャンが何故か毛嫌いするスキー、スノボー、スキューバダイビングと手広いばかりかテニス部にも6年いた、草野球もやってる。ロックミュージシャンの風上にもおけない奴だ。
それどころか、実はだまっていたのだが、、いや日課とまでは言わないが、、走ったりもする。決まった時間ではなく、時間が空いたら走る。別にバッティングセンターでも素振りでも山でも海でも何でも良いのだが多分手っ取り早いのだ。スタジオにこもっていると反動が出るのかもしれない、、。

で昨日も走っていた。走っていたのだが、何か背後に気配を感じる。僕は背後の気配には敏感だ。背後から近付く者にはゴルゴ13と同じ行動に出る事にしている。(うそです)
とにかく、気配を感じて振り返るのだけど、誰もいない。家までもうすぐそこなので気にせず走り続けたが気配は止まない。っていうか、今俺の背中に何か触れたし?????。
『????』取りあえず立ち止まって周りを今一度見渡して、、ひえ~~~~。

話には聞いた事がある。でも今は繁殖期でないはずだ。でもこんなことは生まれて初めてだ。。やはり、そうなのか!?いや、そんな事は不可能だ。彼女にそんな力は無い。
でも昨日の今日だぞ!関連があると考えてもおかしくは無い。
俺が隣の電波ばばあに「お前を悩やましている鳥は俺と一切関係ない、というかどこに鳥がいるのだ!これ以上いいがかりを付けるようだとセーラームーン呼ぶぞ!」といったのは。
ばばあは不服そうだった。色々と独り言のようにしゃべっていた。話をこじらせて遊ぼうとも思ったが眠かった。だから彼女の会話を遮って俺は部屋に戻ったのだった。歩き出した僕の背中越しに「鳥はいるよ」と最期まで彼女はぶつぶつ言っていた。


カラスだった。上空から急降下してきて僕の背中をかすめて又上昇をくり返している。
「何故僕を襲う?」
僕はカラスを振払って家に入った。ドアのスキマから外を見た。鳥はばばあの家の屋根にとまってこっちを見ていた。
偶然か?それにしても何故自分にはこんなちゃんとしたオチが付くのだ、話が出来過ぎている(笑)。
とにかく鳥はいた。 上田や! 05/2/3(Th)21:45

[229] 闘魂込めて大空へ~

ジャイアンツファンが可哀想だ。そう思っている。
いつのころからだろう、そう感じる様になってしまった。
子供の頃は、全国どこにでもジャイアンツファンは沢山いて、タイガースの本拠地である僕の生まれた関西でさえジャイアンツの帽子をかぶった子供がうろうろしていた。王、長嶋を擁するジャイアンツは王道であり、正義であった。
タイガースファンである自分はそのことを苦々しく思っていた。だって小学生の段階ですでに自分は覇道でありアンチである事を認めざる得ない状況だったからだ。
たしかに大阪では無類の支持を得ているタイガースだが、日本中が王、長嶋の活躍を渇望している事が子供の身にも良くわかっていた。満員の観客に拳を振り上げながらダイヤモンドを一周する長嶋の満面の笑顔の向こうに見える村山の背中をみながら僕は育った。
だから僕にとって野球の記憶といえば、背中の記憶と言い換えられる程だ。
村山の背中、江夏の背中、田淵の背中、ラインバックの背中、、。強い敵に真っ向から立ち向かい、たとえ果てながらもグランウンドにしっかと立ち尽くす、どれも孤高の、それでいてどこか淋しい背中達の記憶だ。
そう当時、何度も何度も優勝がもう手を延ばせばそこにあると言う所まで辿り着きながら、我がタイガースはゴール手前で力尽きていた。
秋風が吹く頃にはタイガースの帽子をかぶる事が一段と淋しく感じられたものだ。テレビも雑誌も優勝に沸くジャイアンツの特集に溢れていた。子供達の間でも誇らし気にYGの帽子をかぶるものがにわかに増えたものだった。
そんな中でタイガースファンはどこか心がひねくれていったように思える。あるものは好戦的にあるものは自虐的に、もう真直ぐにグラウンドを眺められない気持ちになっていった。一般にタイガースファンのイメージはあまりよくないのだが、それはこう言った事に起因されているといっても過言ではないだろう。
タイガースファンは一般的なスポーツファンと遊離してしまったのだ。
そんなタイガースファンから見るとジャイアンツファンは屈折などと言うものからは程遠い無垢な存在に写ったものだ。それが何となく憎たらしくもありうらやましくもあった。もう一昔前の話である。

すべては、、そう歴史的なターニングポイントはあの江川事件だったような気がする。「球界の紳士たれ」とスローガンを掲げていたジャイアンツがドラフト制度の法の目をかいくぐって江川と契約したあの事件だ。それまで、球界の盟主として鎮座していたジャイアンツが一気に悪の代名詞のように言われる様になった。それ以降、クワタ事件、ドラフト制の改悪、ヨシノブ謎の契約、一リーグ問題とジャイアンツが絡んだ問題を上げようとすれば枚挙に暇がなくなっていく。
そんな中でジャイアンツファンの目の光が日に日に弱くなって行ったように思えた。
2005年現在、例えば新宿駅東口で一時間改札で待っていて何人のYGマークの入った帽子に出会えるのだろうか。下手をすればゼロかもしれないと思える程あの帽子をかぶった人が消えてしまった。
でもこのことはジャイアンツファンが減ったと言う事とは少し違うのだ。

僕は草野球チームに所属している。そして強引にユニーホームを縦じまにしてしまったのも僕自身なのだが、良く調べてみたら18人いるチームメイトの中で、さすが東京だ、タイガースファンは僕一人だった(笑)。そして実はなんと6割がジャイアンツファンだったのだ。
にもかかわらず彼等は自分から多くを語らなかった、、。
聞くと少し照れ腐そうな顏をしながら「一応ジャイアンツファンなんですよ」と同じ答え方をしたものが多かった。
「一応って、、ジャイアンツファンって言えばイイじゃ無いですか!」と僕が笑うと皆一様にどこか悲しそうな笑みを浮かべた。話してもタイガースファンのおまえにはわからないよ、という目にも見えた。
僕は心の中で「嗚呼、昔こんなタイガースファンがいっぱいいたな、、」と思うと同時に、ジャイアンツファンから一番大切な誇りを誰かが奪って行ったのだと感じた。
この事はどこか日本人が日本の国旗を素直に飾れない心境に似ているとも思った。自分が帰属する大好きな存在であるからこそ、心の中の小さな濁りを見すごせないのだ。
はっきり言うが旗にも帽子にもそれ自身には何の罪もない、罪は常に人間の側にある。
でも考えて欲しい、心の中に濁りのない人間の方がどうかしている。
長年苦境をなめてきたタイガースファンの僕だからこそ敢えて言いたい。そんなものあって当たり前なのだ。ましてやジャイアンツファン自体に罪はないのだ、球団の失敗をファンがかぶる道理はない。もし可能であるのならそっと背負えば良いのだ。それだけで良い。

今年もキャンプインの日がやって来た。くしくも日本の野球は再編の年となる。そんな流れの中でふと思った事を書いた。 上田や! 05/1/31(Mo)20:57

[228] だれにも見えない鳥

留守電を聴いたら隣の家からの怒り心頭の苦情だった。俺の飼っている鳥の羽やフンや鳴き声にもう我慢ならないとの事だった。
そうか~大変だな~って、いや俺鳥飼ってないし、、野鳥に餌やった事も無いし、、。
うふふふ。何かわけのわからぬトラブルに巻き込まれそうで楽しみだわん!話をこじらせて遊ぼうっと。
「俺もお宅の屋根裏にいるイルカの鳴き声には頭に来てるんだ。あと火星人はともかく我々に友好的で無い金星人がお宅に出入りしてるのももう見すごせない!だいたいあなたのパンツの干し方は風水的に俺を呪い殺そうとしているのは明白だ。即座にやめないとハイチで入手したブードゥの魔法陣に月にかわってお仕置きよって書くぞ、ポワトリン来るぞ。」
これで十分だろう。 上田や! 05/1/26(We)18:10

[227] あしたのための其の2

誤解が生まれそうなので少し補足させておくれ、、。俺はこういう内容のファンレターは困るとかこういう内容のファンレターが欲しいと言いたかったのでは無い。
皆色々あるだろうけど、落ち込む事もあるだろうけど、それが役立つ日もあるよと言いたかっただけじゃ。
老婆心というやつだ。
俺は基本的に何でも来いでやってる。嬉しい時でも悲しい時でも何故か上田を思い出して書いてくれたんだから、それを喜ばないはずがない。そこは心配しなくてもいいのですよ。 上田や! 05/1/18(Tu)0:02

[226] あしたのための其の1by丹下段平

今年も多くの方からクリスマスカードや年賀状、そしてbbsにも同様年末年始挨拶をもらった。どうも有難う、やっぱり嬉しい。
ライブの予定はまだ立っていないが、色々とやっていくので宜しくです。

ところで作風のせいだと思っているのだが、それこそ以前から、調子の良い人だけでなく悪い人からのメッセ-ジも少なからず僕に寄せられる。会社をやめたり、彼女と別れたり、自信がなくなったりと各自大変そうだ。そして一様に自己の存在に対するぼんやりとした不安や苦しみが綴られている。
もちろん上田もっとライブやらんかいボケ!とか、アルバム出せ!とかお叱りも頂く。
ただ何となくなのだが心におもりがあるような人の手紙がどうもここのところ増えているように思えるのだ。
私はあなたのファンで毎日元気バリバリよ~ってメッセージには、僕もそれは本当によかったよかったと喜ぶわけなのだが。あなたのファンだけど毎日毎日最悪よ~って話にはどうしてあげる事も出来無いので「う~ん」と唸るしかない。
俺は尋常ではない遅筆なので、返事を書こうと思った事もあるのだが上手く言葉が見つからない。
(因に返信用の葉書が付いている場合はサインぐらいは書かせてもらってるが、、)

ただこういう言い方なら出来る。
自己の存在について真剣に考えたり、人間とは何ぞや、生命とは何ぞや、こんな自分に意味はあるのか、とぐるぐる一日中考えて社会生活もままならない時に、自分がダメになったような感覚を持ったとするならそれは何ら杞憂にすぎませんよ!と言う事です。いまや死語になりつつありますが、昔はそういった行為を哲学と呼んだのです。あんたら哲学者や!いよ!哲学者!

現代は極端に分業が進んだ世界なので、、たとえば俺はだまって文句を言わず音楽さえやってれば社会が食わせてくれるって話だ、ってそんなもん拒絶する。ええと、、僕の話じゃ無くて。
そう全体を又は自己を見渡して思考をする事を一般には求めないという社会システムの問題です。

でな、俺が言いたいのは社会が悪いって話じゃないねん、社会って始めからそんなもんや、うろたえんでもええぞー!って話しなのよ。
満員電車の中で俺今何してるんやろうって、僕だって何度思ったかわからない。

でもこう言った思考は必ずいつかあなたの役に立つ。当たり前だ、何も考えなかった、何も疑問に思わなかった人より不利なわけがない。
唯僕が言いたいのは考えると言う事が自己否定や社会否定に即つながるのなら、少し考えが浅いかもと言う事だ。幅広い思考なら平行して、自己発見や今まで気付かなかった事象に対する反応も起きるはずだからだ。

今一度、どれでもいい、僕の音楽を聴いてみて下さい。一見自己否定、社会否定の嵐に聞こえるかもしれないが、どれもそこからの解放を歌った物ばかりだ。ラブソングなのだ。
僕は理屈抜きに音楽が好きだからやってる、それだけなのかもしれない。でもその結果、何かが伝わればと懸命に願っている。 上田や! 05/1/16(Su)21:15

[225] A HAPPY NEW YEAR!

明けましておめでとう!俺の住む街は雪景色だ。雪に困ってる地域の人もいれば雪でおおはしゃぎしている人もいるだろう。雪なんかみたことねーよって人もいる。
狭い日本とよく言われるが色んな正月を色んな場所で皆が迎えていると思うと、むちゃくちゃ広いやん!とも感じる。
この間伊能忠敬の日本地図展を見て来たのだが。体育館一杯に広げられた地図の上を(コーティングされて上を歩ける様になっていた)先人のとてつも無い偉業に驚嘆しながら鹿児島から稚内までを75歩で俺は歩いた。青森の上空まで歩いたところで南を振り返ると九州がはるか彼方に見える。神の視点だ。
この感覚はとても俺を興奮させたが、でも地べたを這い回って生きたいものや、とも思った。伊能忠敬は正に地べたを這い回ってこれを作ったわけで、路地裏から宇宙まで歩きやがったなとうらやましくも思った。

俺は今年もマイペースではあるが、それでもガンガンチャレンジもする。たかが上田だ、それでも「何でもこんかい!」の気持ちは揺らがない。聞いてくれる人がいるかぎりやれる!
と一声吼えたところで何処にでもある言い回しだが、あえてそれでしめよう。逆に強い言葉に感じるのだ。

『明けましておめでとう!そして皆様にとって良い年であるように!
今年も宜しく願います。』 ポン!

                                 元旦 上田現や! 上田や! 05/1/1(Sa)0:43

[224] メリークリスマス!

毎年白状しているから、もう慣れてくれたと思うが僕はやっぱりクリスマスになるとわくわくする。はっきり言ってイースターや謝肉祭なんかどーでもいい、誰の誕生日でもかまわん。クリスマスが好きなのじゃ。
一時期クリスマスのイルミネーションよりもパチンコ屋の電飾や歌舞伎町のネオンにこそ真実があるとも考えた。又クリスマスを楽しむ余力がない状況の国々も存在する。確かにそうなのだが、良く考えればクリスマスに真実を求めてる段階で何かを見落としている。見えているようで何も見ていない。
答えは簡単だ。神話とか伝説といったイメージの中で暮らす事の出来るチャンスは一年を通じてなかなか無い。くやしいけど日本の祭りでそこまでの力を持つものが無くなった結果なのかもしれない。
でも夢見るようなイメージを捨ててしまったら多分そこには現実も無い。空(くう)になる。
まあ、御託はいいや。今年も東京に雪が無いのは残念だが、街がキラキラして、幸せそうなひとが歩いていて、そして路地裏はいつもの様に薄汚れていて、でもそこにも光が少し差し込んでいて幻想に彩られる。

A merry Christmas to you!
あなたによいことがありますように。 上田や! 04/12/24(Fr)5:41

[223] 顔なし

いつもこの時期になると嗚呼一年も終わりですね、とかもうクリスマスだな、とかここで言ってるような気がするが12月なるとそんな気分にどうしてもなってしまうな。
今年は表面的にはそれ程激しい活動をしなかったように皆さんには見えたかも知れないが、自分としてはこの先に向けての色んな可能性を模索する一年だった。恐ろしい事に一年の70%は自宅スタジオにこもってたような気がする(ひきこもりではないぞ)弾きこもりだ!やっておきたい事、やりたい事は山程あるので暇だと感じた事が無い可哀想なやつなのだ。

さてと。前回の東京プラネッツで僕はのっぺらぽうに会った事があると言った。話はそこで終わってしまったので続きだ。のっぺらぽう、ってあれだ、あののっぺらぽうだ。
まだ僕が小学校低学年の時の話なのだが、自分が住んでいた団地群の外れにたしか法華閣という名だったと思うが小さなお寺があった。
その日もいつものように三角野球に飽きて忍者ごっこをして商店街のアーケードに登って怒鳴られたあと探検隊を組んで宇宙人を探しに行き何故か途中その寺に寄って柄杓で境内を水浸しにして勝手に鐘をガンガンついて捕まる一歩手前をかいくぐって、そんでもって参道の長い階段をすべるように逃げていた。
あの頃の一日は長い。よくあれだけ事が短い時間の中で出来たものだと不思議に思う。
まあそんな風だからお寺の住職はもう僕を見ると条件反射の様に「あんたいったいなんなのよ」って顔をしながら追いかけて来る様になっていた。でも簡単に捕まるようなへたれでは当然無い。自分で言うのもなんだが当時近所の大人にとって僕は完璧なテロリストだった。(笑)

この後はかわいい手下とともに植え込みの中に隠れ、追っての有無を確認してから泰然自若と帰路に着くだけだったのだが、その日はいつもと様子が違った。血相を変えて追いかけて来るはずの住職と多分奥さんだと思うのだがオバハンが階段に表れない。
「今日は追ってが来ないな」と思いながら階段を見上げていると最上段に妙にきらびやかな服装をまとった者が表れた。夕暮れ時であたりは少し暗くなっていたが当時視力2、0の僕にははっきりと見えた。
金の袈裟に金の派手な着物の男だ。いつもの住職とは違い、もうむちゃくちゃ高僧でございますよ~といった感じだ。
「こんな奴この寺にいたっけ?」と思いながら僕はそいつを凝視していた。男はゆっくっりと本当にゆっくりと階段を降りて来る。僕はもう我慢出来ずに植え込みから出てそいつを眺めていた。手下どもはまだ植え込みの中だ。
僕は階段の下でそいつと向かい合うような形で彼を待った。興味津々だったのだ、、。何者なんだろう。
互いの距離が五メートルぐらいになった頃だ。僕は強烈な違和感を既に彼に持ち始めていた。
「何か変だ、、。」「見えにくい、、。」「いや、、あれ、、やっぱりそうだ」「顔が無い」

顔が無いのだ。そのつるんとした目も鼻もない顔は母がいつか話してくれたのっぺらぽうそのものだった。

その瞬間僕は大声を上げて逃げ出した。走ったとにかく走った。途中振り返ると手下どもが両手を上げて後に続いているのが見えたがのっぺらぽうの姿は既になかった。でもとにかく団地のエリアにまで戻れば一安心だと考え走り続けた。
団地の公園までなんとか戻ってきて、僕らは集合した。息を切らせながらも全員無事だ。
僕は恐いながらものっぺらぽうに出会った興奮を皆と語りたかった。
「見たか!?のっぺらぽうや!ほんまもんののっぺらぽうや!」
当然この話で盛り上がるはずだったのだが、かわいい手下たちの反応は予想外のものだった。
「現ちゃん急に走り出すから、ビックリしたよ、、。」「なにかあったの、、。」

驚く事にのっぺらぽうはおろか金の袈裟の男も知らないと皆いうのだ。僕が急に走り出したので恐くなって後を追いかけたというのだ。
そんなはずは無いと僕は半ば怒って皆に問いかけたが、やはり誰も何も見なかったと言う。僕がしつこく問いつめるので最期は皆黙ってしまった。しかたがないのでその日はそこで解散となってしまった、、、。

話はここでお終いなのだが。う~ん、今でもはっきりとその時の記憶が残っている、あれは何だったのだろう。

余談

トロンボ~ンの増井(何ども言うが増井がトロンボン~ンなのでは無い)の話によると、彼の家には「かっかぽ~」というのが夜な夜なやって来るそうなのだが、この話は全く信用していない。 上田や! 04/12/19(Su)6:21

[222] 遺伝子組み換え現ちゃん

サイエンス系の雑誌にアメリカの企業が先月アレルゲンの生成を抑制した「遺伝子組み換えネコ」の開発に着手したとあった。アレルギーに悩む愛好家に朗報とも書いてあった。
でもはっきり言ってこれはだめだ。もちろん人類は長い時を掛けて色んな動植物を品種改良?して来た。豚もアヒルも自然界にいた生物ではない。いまさら何でネコはだめなのだ?と言われたら少し答えに窮する人もいるかもしれないが、我々が生きて行く為に背負う業や罪と、言わば快楽のための破壊は別に考えるべきだ。

自ら話をややこしくするが、ロックミュージックも酒も煙草もどちらかと言うと前出の「快楽のための破壊」につながる要素を持っている、文学、映画と言えども多分にそうだ。そして僕はそういった物から溢れ出る「いびつさ」を心から愛する者でもある。
だがこれには絶対的なルールが存在する。それは自分の内面に対してであろうが他人に対してであろうが飽くまでも「他者に対する問いかけ」でなければならないという事だ。いくら酒がおいしいからと言って飲まない人の口に無理矢理注ぐのは単なる犯罪なのだ。
ロックミュージックは本来政府のみならず市民社会からも疎まれる要素を持っていた、それは現状の社会を否定する傾向がそのときおりに本質として垣間見えるからだ。
でも考えてみてくれ、どんな恐い格好したミュージシャンであろうとも例えギター侍と名乗れども楽器で人を襲いながら街を歩いたりはしない。当たり前だ、そんなもの音楽でも何でもありゃしない、そういうのは通り魔と言う。(笑)
気に食わない物に対する単なる物理攻撃はテロと同じだ。
アートでも芸能でも内面から湧き出るイメージとか疑問とか願いとか怒りとかを作品に込めて問いかける、これがルールだ。映画監督は人殺しが好きで人が死ぬシーンを撮るのではない。そこから何かを伝えようとしている、当たり前すぎて説明がいらないぐらいの話だ。

要は、逆転の世界を提起することにより、現実を見つめ直す作業だ。それが例えば非道徳的でも反社会的でも作品である限りいつしかフィードバックして、オーバーに言えば世界に豊かさを与える。簡単にいえば気持ちのイイ作品として存在しうると言う事だ。

話を戻すと、「遺伝子組み換えネコ」の開発はルール違反だと言っているのだ。かわいいネコちゃんをダッコしたいけどくしゃみが出て困るわ~、じゃあネコちゃん改造しちゃえ!は人間とネコの関わりを考える以前の問題で、僕はこういうのを虐待と呼んでいる。

恐らく有史以前から、犬、ネコは我々とともにあった。石器時代の遺跡からも彼等の遺骨は多数発見されている。性格的な相性だけでなくウイルスやアレルギーといった観点からももっとも飼い易い動物だった。
緑ザル(エイズの原因といわれている)やハクビシンといった様なものたちとの特殊な関係ではないのだ。
つまり原因はネコのほうに有るのではなく我々側に有る。本来ネコは肉食獣、室内に閉じ込めて飼うような生き物ではないのだ。ましてや現代のような気密性の高い空間で人間と異種生物が同居すること自体に実は問題が有る。
人類にとって有害なウイルスもネコにとっては重要なものだったりもする。共存の問題なのだ。もともとネコのウイルスが人間の体内に入るという事態はネコちゃんと濃厚なキスでもしないかぎり起きにくい話だった。ネコにひっかかれて病気になったなんて話は聞いたことがないだろう?
 マンション等どうしてもネコを放し飼い出来ない環境の場合はこまめに換気と掃除をすべきなのだ。それでもくしゃみが止まらないなら、かわいい愛するネコのためだ、くしゃみしてろ!と僕は思う。愛するとはそう言う事だ。


話を変えるが今年の夏山梨と長野の県境にある2600メートル程の高山に登った。途中山小屋に貼っていたポスターが妙に引っ掛かった。「山にいぬを連れてこないで」と書いてあったからだ。
そう言われてみれば最近はRVが増えたせいか凄い山奥でも犬を連れた人に会う。
たしかに犬は貴重な高山植物を荒らしたり小動物を捕獲する可能性や汚物の問題が有るかも知れないが、でもそれは飼い主がしっかりしてれば良い問題で、エコな人達(失礼)は細々とうるさいなとはじめは思った。別にいいじゃん犬も喜ぶしと思ったのだ。
ポスターの見出しの下に長々と説明が書いてあったので、さあどういう論調かい?と穿った目で読み始めたものの、その内容にびっくりして「え~~~!」とのけ反った。本当に山に犬を連れて行ってはダメなのだ!
結論からいうと「犬は2000メートルより高地に生存するウイルスに対しては殆どが抗体を持たない」ということだった。もちろん中国奥地原産とか例外はあるだろう、でも普通の犬は高地では呆気無く死んでしまう可能性があることをポスターは告げていたのだ。
このことから我々が学ぶべき事は決して「高地で散歩できる」犬をつくり出す事ではなく、我々は互いに違う特性を持つものであり、その中でどうやって一緒に暮らして行くかを考えることだろう。

もしソニーがもっと良く働く上田現にするために「遺伝子組み換え現ちゃん」にすると発表したら少し興味はあるが、やはり困る、、、。っていうか人間だったらこの時点で物理的反抗をする権利を得ると思う。テロではなくそれは闘争と呼んでもらえるぐらいの事ではないだろうか。


p、s

皆様のおかげで携帯からHPを見る事が出来た。有難う!それにしても聞いてみるものだな。 上田や! 04/12/6(Mo)0:59

[220] いまさらですが、、、。

僕はいつもpcからここにやってくるのだが、今ふと思って携帯からここに来ようと試みた。
あ~~やり方が全然わからん。アドレスが違うのか、、?だから携帯は嫌いじゃ!こんなもの!直ぐなくなるし、知らん機能だらけだし、へんなメール来るし、知らない着信履歴にかけたら知らないおねーさんがテープで喋るし、、、。
で、誰かやり方教えて欲しいし、、、、。  上田や! 04/12/2(Th)2:34

[219] またやりたいな!

東京プラネッツ楽しんでいただけたでしょうか。
プラネタリュウムが正に作動した瞬間(実はあのマシンの名前がプラネタリュウムなのです)、マシンはかすかなうなり声を上げた。その小さな音に客全員が反応したのには驚いた。みな子供のように驚きと好奇心を持って目を輝かせていた。それは僕がこのライブは上手く行くと確信を持った瞬間でもあった。 
なぜなら、どんな凝った演出も必然性がなかったらただのこけおどしだからだ。そこにいたるストーリーを感じ取ってもらえるかが勝負の分かれ目だと思っていた。
室内から外へ意識を広げてどこまでも行く、でもちゃんと帰って来る。
そのための演奏者が見えなくなる演出、視覚的なものは星にまかせて音楽だけを提供する演出。
視角を奪われる事によって聴覚は研ぎすまされる。でも良い演奏ならプラス効果だがちょっとした失敗が逆に手に取る様にばれてしまう。それは演奏に難のある自分にとっては賭けでもあった。
だから僕達は何時間も真っ暗闇で演奏の練習をしてきたのだ。スタジヲの窓は全て目張りをした。プラネタリュウム技師の中村氏は星空の下で演奏をしたいと言ってやって来た全てのミュージシャンがこれじゃ演奏出来ないとあきらめてライトを付けたと言っていた。
僕はステージの端から端まで転がりながら演奏した事もある、ひるむ理由はどこにもなかった。(笑)

僕は暗闇の中で何かが少し自由になっている自分に気付いた。何だったんだろう?お客さんを何処かに連れていってあげたいと願っていた僕が何処かに行けた。いや言い換えたらそこが何処かになっていた。 上田や! 04/11/23(Tu)0:17

[218] 王子は八王子ではありません!

さあ明日は東京プラネッツだ。eleはリハを重ね、スタッフは何度もプラネタリュウムに足を運んで打ち合わせてくれた。勿論俺も下見にいったがはしゃぐ社会見学の子供状態で、帰って来てから音の反響を皆に訪ねられたもののプラネタリュムの事しか思い出せなかった。(使えない人、、)
それにしても本当にライブの準備をしてるとあっという間に時間が過ぎてしまう。大変だが楽しみだ。
とにかく明日の今頃はステージの上や。会場で会いましょう!

p、s
東京プラネッツのロゴ入りmebiosのシャツを作った。
高台寺のライブの時も悩んだのだが、やはり今回も物販の売り場には立たない事にした。本当は来てくれた御客一人一人に頭を下げたいのだが、tシャツ作ったぞーと叫びたいのだが。それよりも全体のストーリーを優先すべきだと、そのことを何よりも大切にすべきだと考えた。
柱の影で頭下げてます。恐わ。
上田や! 04/11/19(Fr)19:34

[217] トーキョープラネッツ

帰ってきたよん。帰って来て、その足であわてて東京プラネッツの準備に入った。ある事がわかったのだ。
考えてみればあたりまえだが、楽器も見えないぐらい真っ暗にしないと星は出ない、、、、って事だ。
ピアノを目指して歩いたつもりが客席に落ちる場合もあるって事だ。
まあ、大した問題では無い(ほんとか?)話を先に進めよう。
実は最近スタッフの体制が少し変わった。もちろんトメと俺が呼んでいる徳留愛理ちゃんもいるのだが、現場に「増田」と名乗る男がマネージャーとして入った。この男は元々占いバーで働いていたという、得体の知れない素敵な経歴を持つ。この男の占術がある限り来年からの上田の未来は安泰だろう(ほんとか?)
大泉あきらと爬虫類のカメレオンとヤッターマンのワルサーを足して更に3を掛けたぐらい濃い顔だが何故か、何故だか川村結花さんに「メコンさん」と呼ばれているのが悲しい。もっと良い名をと思っているのだが、、、って普通に増田さんて呼べよ川村!(笑)

さて話を本題に移そう。前出の川村女史と8本のライブをやった。僕はインディーズ時代もレピッシュの時も含めて、シンセもギターもサックスもやらずに生ピアノだけでライブをやった事はなく、思い起こせば小学校時のピアノの発表会にまで溯る事になる、、いや別に溯る必要は全然ないけど、、。ましてやジョイントライブ等全くやった事が無い。
「メビウスの二重奏」。とにかく上田現としては非常にめずらしい体験をさせてもらったと言う事だ。なにせキーボーディストとしての心の師匠はオスカーピーターソンでもキースエマーソンでもアシュケナージでも矢野顕子でも無く、クラフトワークだったりディーボだったり星一徹だったりするものだから、全くといっていいほどライブではグランドピアノとは縁が切れていた。(何故かレコーディングではグランドピアノばかり使う)
こだわりがあった訳ではない。何となくだ。何となくピアノの何かを恐れていたのかも知れない。
又別の角度から考えるとレコーディングはやり直しがきくしピアノも選べる。でもライブはその場で出会った会場のピアノと答えを出さなければいけない。そんな事も関係したのかも知れない。色んな小さな理由は幾らでも見つけられるが、自分でも良くわからないというのが正直なところだ。
だがこの何となくというのが、結構くせものだったりもする。
何となく手を何度も洗う人、何となく電車に乗ると気分の悪くなる人、何となく上田現を見たらシモネタ口撃をしたくなる人(やめてくれ徳留、河原田)、そう誰も自分の事は自分でどうする事も出来ない。
だから自分だけでは思い付かなかったライブが出来たことがとても嬉しかったのだ。ある種の呪縛から解かれたと言ったら少しオーバーだがそんな感じがした。
もちろん川村のピアノとの付き合い方をまじかで見れた事も大きかった。僕はあくまでも楽器と戦うというスタイルを持ちつづけて来たのだが、彼女は楽器にゆだねるという技を身に付けている様に思えた。
ミュージシャンなら誰でも知っているし当たり前なのだが、その方が楽器は応える、鳴る。
その当たり前がどこか苦手だったのだ。ふふふ、又球種を増やすぜ。
そんな流れに乗って「東京プラネッツ」に移行して行きたい。

僕は長年プラネタリュウムでのライブをどれだけ楽しみにしていたことか。
悲しい事かも知れないが天の川も南十字星も蠍座も全て初めて見たのは父につれられての大阪の市立科学館のプラネタリュウムだった。にせものの空だけどあの時俺がどれだけ遠くに行ったか言葉なんかには出来ない。
そう、プラネタリュウムでやるんだぜ!

そして「十秒後の世界」を中心として来たこの一年を締めくくり次ぎの方向や作品に向かって行きたいと考えている。
だから「東京プラネッツ」はどこか今年の3月の「十秒後の世界ライブ」と対をなすものにしたいと思っているのだ。
そこから ON THE ROADの歌詞のようにまた何処までも歩いて行きたい、ぼんやりとそう思っている。
さあ後一週間程、またあーでもないこーでもないの日々を重ねよう。是非楽しみにしていて下さい。 上田や! 04/11/12(Fr)1:56

[216] メビウス8ステージ完了!

メビウス、自分にとっては初の試みだったがどきどきワクワクさせてもらった。有難う。
メビウスの事や東京プラネッツ(ライブのタイトルだぜ)については来週語る、語りまくる。
取りあえず、ちょっと南の方に行って、すぐ帰って来る。 上田や! 04/11/3(We)18:52

[215] 名古屋ブルーノート

名古屋に行くぜ!今から通しリハーサルを独りでやるから、沢山書いていられないが、スタジヲの壁に向かって気合いを入れるぜ!壁の向こうには名古屋がある。聞こえるか~!

p、s
昨日は遅くまでトッド先生と飲む事が出来た。先生が元気なだけでも嬉しいのに、音楽に対する情熱がいささかもおとろえていない事に胸を熱くした。彼から見れば僕なんかは、まだまだの青二才であるにも関わらず、昔からミュージシャンとしてあつかってくれる。彼の一言一言がいままでどれだけの励みになった事か。足を向けて寝れない。 上田や! 04/10/28(Th)21:57

[213] duo of mobius

さてさて明日は福岡だ。おしゃれな店だが気にせず行くぜ!現場でお会いしよう。
話は変わるが、夏の始め僕は沖縄にいた。ホテルの長いロビーを歩いていたら、男が Tシャツを売っていた。良く見たら自分でTシャツに絵を書いてその場で売っている。力強い絵だった。
「沢山作れます?」と聞いたら「勿論。」と答えた。
浦崎と名乗る男に僕はピアノの絵を書いてもらい『duo of mobius』と入れてもらった 。明日それも持って行くぜ!沖縄産だ! 上田や! 04/10/21(Th)20:18

[211] 二重奏

さてメビウスの二重奏だ。空間がねじれたメビウスの輪を歩いて行くと、表を歩いているつもりがいつしか裏になり、いやどこが表でどこが裏かさえわからなくなって行く。川村さんと二人でライブを作ろうといった話が出た時、そんなイメージが浮かんだ。互いに同じ場所に立っているのに違う空間に存在したり、別の方向に走って行ったのに出会ってしまったり、、。
なにせ一見共通項の無い、川村と上田である。歩いて来た道も全く違う。でも、音楽とは不思議なものでそんな事は関係なく反応しあう事が出来る。化学反応が起こる。
そう僕は単に同じ事務所で仲が良いですよ、といったライブがしたいのでは無い。その反応しあう所を見せたいと思っている。高台寺ではまず同じ場所に立ってみた。お互いの引力が少し混ざってもう既に何か始まっているのだ。

僕は川村の演奏を聞く時、碁とか将棋の名人を彼女の音の中に見ている。瞬間瞬間に理論に裏付けられた高度な演算をしながら、それでも遊んでいる。僕が感情だけで手を振り降ろしているのとは全く違う方法論だ。
ある意味僕は始めから神頼みなのだが(笑)彼女は神に挑戦?しているようにさえも見える時が有るのだ。
そんな時彼女に対する尊敬の念が生まれるのを感じる。面白い。
そんなミュージシャンと博多、名古屋に向けてこれからどんどん詰めて行く。楽しんで貰えたらいいなと思いつつドキドキしている。 上田や! 04/10/10(Su)3:15

[210] 誰も知らん楽器

川村女史からメールがあった。本人も良くわかって無かったらしいのだが、彼女が吹いたのはピアニカでもメロディオンでもピアニーでも無く、鍵盤ハーモニカという楽器だったらしい、、、。っていうか俺はどれも良く知らん。(笑) 上田や! 04/10/6(We)1:34

[336] 実は、、、

まだアメリカにいたりして、、済みませんー今月中にかえりますー。 うえだだ! 08/2/7(Th)2:59

[209] 池の上の亡霊

高台寺のライブ、みんな来てくれて有難う。アンケートを見ると遠くからやって来てくれた方も多く感動した。何せ本物のお寺なのでホールコンサートの様な見やすさは無かったと思うが、独特の何かは伝えられたのではないかと思っている。でも僕の背中ばかり見せられた方もいると思うので、又チャンスがあればそういったことも含めてもっと詰めていきたいと思うと同時に、ホール以外でやる事の意義をあらためて少し理解出来た気がした。次につなげる事ができると思う。


 前日同じ場所でライブをした川村結花さんはmcで「うわ~何かおりてくるわ~」と言っていた。彼女の感受性の高さがそう感じさせているのだなとその時はただ見ていて思ったのだが、、、、、、、。

その日僕は高台寺の庭をはじめ、色々な日本庭園を造園されてる北村さんという方に話しを伺う機会を得ていた。彼はこう言ってくれていた。
「400年変わらずにある庭や建物はやはり目に見えぬ400年の蓄積が存在する、でもそれは今生きている我々が有り難く頂いて良いものなのです。だから上田さん、それを観に来てくれたお客さんも一緒になってもらって帰ればいいじゃないですか」と。
この発言はかなり僕を楽にさせてくれた。というのも僕は主人を失って400年近く経ったこの館で何ができるだろうかという戦略で頭が一杯だったからだ。
「ああ、もろて帰ればいいのか」と思った。

ところが翌日実際本番に自分が神域と言われる場所の前に立ってみると驚く程の重圧を感じて「こりゃ一歩間違うと頂くどころか、吸われるがな、、」と思ってしまった。川村が言ってたのはこれかと。
何もしないで貰えるような物ではやはりなく、大袈裟かもしれないが身を投げ出して初めて何かが返ってくるのだと痛感した。観に来てくれた人は御存知の通り僕が靴を履く事さえ忘れてライブを始めた事には呆れただろうが、実は登場の時点でそのぐらい懸命になっていたのだ。
結局僕は吸われているのか、頂いているのかさえわからぬままライブをやった。とてもとても楽しく、それでいてきつくも感じるのだ。本当に貴重な体験をさせてもらった。

さて、ところでエンディングの話だ。ライブを作るにあたってこのエンディングだけが、まず頭の中にあった。ひと月そのことばかり考えていたぐらいだ。長い説明はやぼになると思い、敢えてライブでは何の説明もしなかったが、日を改めここでしようと思っていた。楽屋落ちは敢えて聞きたく無いと思う方も当然いるでしょうが、ちょっと良い話でもあるので聞いて下さい。

そう、どこからともなく聞こえて来るトランペットの音、、、、、。そしてそれにいつしか合わさる僕達。最初はこれがやりたかった。

何度か高台寺に掛け合ってもらった。でもトランペットは勘弁していただけないだろうか、との事だった。僕としても折角気持ちよく場所を提供してくれたお寺ともめたくはなかった。だから考えたのだ。トロンボーンは?、、いやますます怒られそうだ、、バイオリン?、、何か違う、、リコーダー?、、、、う~ん?、、、そうだ!目の前にいるじゃないか!あの娘しかいない!でも受けてくれるだろうか?、、へたすりゃ姿も見えない出演、、、。でも我慢出来ず僕はメールを書いた。

『川村は2日は帰るのか?帰ってしまうのか~?
もし、もし残れるのなら ライブの最期の曲on the roadのところでピアニカを吹かないか?いや、吹いてくれないか!

歌の部分が終わる頃、君はそっと廊下のはしに立っている。庭はライティングされていて軽い逆光のため一瞬 誰だかわからない そう 何かが舞い降りたようにそこに立って静かに吹きはじめるのだ。演奏が終わって君は何ごとも無かったかの様に帰って行く。
僕との演奏は2分も無いだろう。でも客の持つ印象はあっというまで、それでいて永遠の様に映る。ライブはこれで完成する。
一考してくれ。』


翌日メールの返事が届いていた。

『吹きたい~~~~~~~。てゆうか
現さんのライブみたいんです。本当にーーー。

なので
その日は今やってるプロデュースのTDなのですが
なんとか周りにまかせて京都に残りたい、と
ずっと前から思っていました。
まだ話してませんが。
できるだけその方向で行きたいと思っております。』

仕事を休んでまで来てくれるというメールが来た。一見文章からは軽く引き受けてくれたようにみえるが、僕は同業者なのでこれがどれだけ大変な事か痛い程わかる。レコーディングを一日ずらすためにどれだけの人にあたまを下げなければならないか、、、いやそれだけでは済まん場合も有る。そしてなにより気持ちが本当に嬉しかった。高台寺もピアニカならと快諾してくれた。もう進めるしか無い。僕はこの案をもって高台寺に乗り込んだ。

前出の北山さんに具体的な進行を伝えた。真剣に僕の案を聞いてくれた。そしてこう言ってくれたのだ。

「ステージからは見えませんが開山堂と言うお堂があります、そこは本来(しょう)とか和楽器の演奏に使われた場所なのですが、そこから回廊が観月池の上に伸びていて観月台につながるようになっています。そのあたりで吹いてもらえば池の前にある鶴の背と呼ばれる小山に音があたって拡散し、寺のどこにいてもかすかに聞こえる設計になっています。そこを使えばいいじゃないですか、客席からは見えませんがそれでもそこにライティングをしましょう、絶対何かがこもりますよ。」
「じゅじゅじゅ、、、重要文化財の開山堂を使わせてもらえるのですか?!」僕はびびってしまった。
更に開山堂と自分が演奏する方丈と呼ばれるお堂との距離を考えた時本当に聞こえるだろうかとか、ましてや演奏のやり取りが可能だろうか?と不安を憶えたが、僕自身がもう楽しみで仕方がなくなっていた。そう当初の予定よりお互い遠くで演奏してみる事にしたのだ。
観に来てくれた人にはどんな風に聞こえただろうか?僕には不思議な事に池の上で川村が吹いた音は時間を超えた笛のねに聞こえたよ。そして更に最期は彼女が近付いて来て、皆のすぐ後ろ、正に振り向けば目の前の廊下に立って彼女が異界の住人として演奏してくれていたのだが何人のひとがそれに気付いただろうか。たぶん目の前にいるのにどこから聞こえるのかわからなかったのではないだろうか?いやそれどころか見えなかったのではないだろうか、そんな気がする。誰にも見えない池の上に表れた亡霊、、、。

p、s
今回 杉野と石川は予算削減のために車で移動してくれた上に本当に心のこもった演奏をしてくれた。俺は少し泣きそうになったよ。なんや、いっぱい頂いてるやん、はよ気付けよ上田現、ほんまに有難う! 上田や! 04/10/6(We)0:30

[207] 天気も良さそうや!

天気も良さそうや! 上田や! 04/10/1(Fr)11:31

[206] ここにいる、という事

BBSを覗いてみると、色んな方が僕のライブを楽しみにしていることが伝わって来る。その事がどれだけ自分を勇気づけてくれていることか。
僕は好きな事をして飯がなんとか食えてる人間だ、この事はどれだけ感謝しても足りないぐらいだ。でも実はギリギリでやっているのも事実だ。だから皆の声が嬉しいのだ。
 僕はデビューの頃皆にどれだけ与えられるか、と言う事を年中考えていたが、恥ずかしい話、実際は皆からもらうばかりだった。本当にもらってばかりだ。オーバーに聞こえるかも知れないが自分が存在しても良いのだとあなた達が教えてくれたのだ。
だから僕は、つたないながらも、全力を尽くそう。決してこびる事無く、面白そうな事をやる。そうとしか言い様が無い。おおきに! 上田や! 04/9/25(Sa)1:08

[204] メビウスの二重奏

ライブの事ばかり考えている。しかしブルーノートでさえ良くOKしてくれたなと思っているのに高台寺まで借りれたとは、、。川村さんのお陰だなこれは。僕はこれを持って秀頼方ではなく家康側に付く事にした。
その昔、NHKホールにパイプオルガンの使用を頼んだ事があるが、むげに断られた。冷静に考えたら上田に貸す方がどうかしているとも思えたのであきらめたのだが、後日そのパイプオルガンを弾くX のヨシキ君をTVで見て、酷いわ~、差別だわ~と叫んだものだ(笑)
明日からリハーサルも始まる。待っててね。

p、s

野球の話で恐縮だが、今僕は古田の心と共にいる。僕は長い間プロ野球を見つづけて来た人間だ。だから各球団色々な所々の事情があるのも理解している。だから自分でまいた種とまでは言わないが、あまりに旧態依然とした球界の体質が原因なのははっきりしている。
ストを非難する事は容易いが、今こそ戦う時だと思う。 上田や! 04/9/18(Sa)20:03

[205] 訂正

「だから」が二回続いて読みにくい。「自分でまいた種とまでは言わないが、あまりに旧態依然とした球界の体質が原因なのははっきりしていると思う。戦う時は今しか無い、そう感じている。。 上田や! 04/9/19(Su)0:07

[203] どんなライブにしようかな、楽しみや。

少し僕の自慢話しにつき合ってくれ。
今日オフィスオーガスタの森川氏から電話があった、チトセ君の事務所の社長さんだ。森川氏とは僕がkittyと契約していた頃からのつき合いなるのだが、今や彼は押しも押されぬミスターオーガスタである。年齢は僕より先輩だが、ちとせ君のデビューに際して共に奮闘した間柄でもあるので、どこか戦友のような感を持っている。とにかく何かと世話になって来た方で有る。
その彼がいきなり電話口で話し始めた。
「いや、現ちゃんに報告しておこうと思ってね、、。うんチトセは元気だよ。いやね、そうじゃなくて最近奄美大島で京都大学の研究者が新種の植物を発見したのよ。」
「はい?????新種、、?」
話しの糸口が見えない。氏は話を続けている。
「絶滅のおそれのある種らしいんだが、いや、癌に効く植物だというのでね。」
嫌な予感がした。やっと話の筋道が見えて来た、少し躊躇したが、でも言うしか無い。
「もしかして森川さん癌なんですか?」
「、、、、、、。全然違う、違う。そう言う話じゃなくてさ。」
「それにしても見つかったばっかりなのにもう絶滅するんですか?」
「そう言う話でも無くてさ、現ちゃん聞いてる?その新種の植物の学名がもうすぐ発表になるんだけど、その名前がさ、、。」
ここまで聞いてさすがの僕もこれ以上のぼけをかます事が出来なくなっていた、今度こそ話が見えたのだ。
「もしかして、、。」
「そうなんだよ、学名はワダツミの木になるそうだ。なんか嬉しくてね、電話したのよ。我々が死んでもワダツミの木は残るんだな。」
「絶滅するのに?」
「あのね、、、、、、、、。」

不思議な事もあるものだ、幻想の木は時を経て現実のものとなった。



p、s

bbsを見たら台風で家がむちゃくちゃになったという書き込みがあった。悲しかったやろうな、心からお見舞い申し上げるよ。 上田や! 04/9/10(Fr)4:02

[202] うるう年

仕事が進まなくなるから、なるべく見ない様にしようと毎回思うのだが、これが見てしまうのだな、、オリンピック。それこそ世界のレベルで一所懸命頑張ってる人をみているうちに、僕は単純なのだろうか直ぐ胸が熱くなってしまう。
ルールどころか普段存在も忘れられているような競技でも、嗚呼この人達はこの四年間常人では分からぬ程の努力をして、それでも今、時の運という誰にもどうする事出来ない力に左右されながらそこに立っているのだなあ、と何とも言えない気持ちになってしまうのだ。
どんな競技でも始めは無意識に日本の応援から入って行くのだが、そのうち対戦相手のキャラクターとか母国とか客席とかも視界に入って来て僕の胸中は段々複雑になってくる。もちろん日本を応援しているのだが、相手の母国の状況から起きるであろう苦労やら田舎でテレビにかじりついてる家族の事等勝手に想像して、、僕には聞こえて来るのだ「とうちゃん、がんばれ、父ちゃんはマサイの男だよね」とか「愛しのバカテリーナよ、もう貧しい生活は決してさせない、命に変えて君にメダルを捧げよう。」とか、、どうせ阿呆ですよ俺は、、。
でもきっとそれぞれにドラマがあるのは想像するまでも無く明白な事だろう。だって世界一を競った事なんかない我々にだって一人一人色んな想いを胸に生きている。そんなドラマの集約がきっと今目の前で繰り広げられているのだ。だから聞いた事も無い国の会った事も無い人の一挙一動に僕はハラハラどきどきしているのだ。

p、s

ライブの予定が出そうだ、楽しみにしてて! 上田や! 04/8/21(Sa)14:48

[201] ハオ!

非常に下らない話なのだが考えていたら眠れなくなってしまった。子供の頃よく聞いた常套句?なのだが「インド人もびっくり」と「インデアン嘘つかない」って元々なんなのだ?インド人はそんなに驚かないのか?
そんな言い回し、知らね-よって言われたらそれまでなのだが、、。 上田や! 04/8/11(We)5:12