まだアメリカにいたりして、、済みませんー今月中にかえりますー。 うえだだ! 08/2/7(Th)2:59
しばらく、ミシガンに行く。寒ーい所だそうだが いってきます。
ところで「追悼のざわめき」という映画をご存知だろうか。20年以上も前に封切られた映画なのだが。いまだに賛否両論の渦の中にある作品だ。
今年そのDVDがようやく発売される事になり、ぼくも手伝った。 というのも、版権の問題等でオリジナルに使われた音をそのまま出す事出来ないからだ。
そのために新たに二曲書き足した。
一旦完成している作品に音を乗せる作業は本当に難しい。幽霊と戦うようなものだ。どんな風に作ってみてもオリジナルの呪縛からは逃れる事が出来ない。
覚悟はしていたが、なかなか簡単にはいかない。その分、本気でやらせていただいた。
少し大仰な書き出だしになってしまったが、「追悼のざわめき」について語るのは少々神経を使う。というのもこの映画、表面的には猟奇殺人、カニバリズム等、人としてやってはいけない事のオンパレードだからだ。
普通やくざ映画を誉めようが、戦争映画を誉めようがその事によりやくざ者、戦争崇拝者呼ばわりされる事はないだろう。当たり前だ、映画の話をしているのだから、、。
映画にせよ音楽にせよ文学にせよだ。これらはその内容を問わず、現実にフィードバックして世界を豊かにする。分かりきった話だ。
だが「追悼のざわめき」はそんじょそこらの映画より断然「力」を持った作品なので観た人の一部は狼狽して冷静に作品と向かい合う事が出来なくなる可能性があった。
「へたに誉めると誤解されるかも、、」
この映画の本質は全くもってそこに無いにも関わらず、正にそこだけを語られる不幸はこの作品が今年になってやっとDVD化されるという事実が物語っている。
僕がこの作品に惹かれる点は明白だ。
もし現実にこんな事が目の前で起こったらだれも許容出来ないであろう世界。だが松井良彦という男は「どんな地獄であろうとそこにやさしく光をあて、美しい映像として表出してしまう異能者」であるという事だ。
地下を流れる汚水であろうが、土に埋められた死体であろうが、監督「松井良彦」は本当にやさしく撮る。余談であるが、「ツインピークス」のローラパーマは世界一美しい死体と当時マスコミが騒いだ。「松井良彦」を知らないのだ、、。
不思議な才能だと思う。
さて今年松井監督の新作が封切られる。「どこに行くの?」というタイトルの映画だ。これももちろん松井監督ならではの世界だ。又賛否両論になるだろう。
こちらも音楽を担当させてもらった。
興味のある方は是非観てみてください。
上田現や! 08/1/6(Su)2:21
あけましておめでとう!今年も宜しくお願いします。
全国的に雪が降っているらしいが、僕が住む町は珍しく星が出ている。
すご~く寒いがよい空気だ。みんなにも良い年でありますように。
新年に際して、また遠くにでも出かけるか!!という感じになっている(笑)
何処までいこうか!ってどこに行こう。決まったら報告する。まあ今月中にはちゃんと帰ってくるよ。
元旦
上田現や! 08/1/1(Tu)1:19
ご無沙汰してます。ごめんね~二ヶ月も更新しなかった。
なさけないが今年は本当に体調との戦いだった。無理をするとすぐ悪くなるのだ。
自分の病状についてhpでちまちま書くのが性格上な~んかしっくりこないのでその話はここまでだが、みんなにも色々と迷惑をかけた、今一度あやまる、御免!
まあ思ったようにいかない時もあるさ!と自分に言い聞かせながら「上手く行く時の方が断然少なくねえ?」という心の囁きにおののいている上田でもある。
おお~いかん!ぐちっぽいぞ、、。う~ん。開き直らねば。(笑)
みなさ~ん!もちろん上田は水面下では来年に向けてちゃくちゃくと準備をしてまする~。って来年かよ、、。とにかく、体調も上がって参りました。ここも又色々と書きます!よろしくです。
さて今年レピッシュは20th anniversaryとなうってコンサートをやった。札幌のライジングサンを皮切りに各地でやれた。(上田は休んだけど、、。)
上田現もデビュー20周年という事です。
20年前を思うと遠い昔の事のような気がするし、昨日の事のようにも感じる。結局この年月がどんな意味や記号を持つのかいまいち分からないというのが本心だ。
だからあの頃の世界と現在とで何が変わったのだろうかと考えた。
確かにソビエト連邦はもうないし、バブルの頃の金満伝説ももう昔話だ。大体あの頃は昭和だし、、携帯ないし、、macは80万円以上した。ああ俺ももう若いとはいえない(笑)
ひとつひとつの変化をあげつらうとかなりの事が変わった。
でも人々の暮らしをかいま見るにいつの時代も人の心はそうそう変わるものでもない。「僕は誰々ちゃんが好きなんや~!!」とか、「有馬記念とった!わ~い!!」とか今日もどこかで誰かが叫んでいるだろうし。赤提灯で上司の愚痴を言うサラリーマンも公園で元気に走り回る子供の姿も変わらない。
今敢えて子供の姿について触れた。というのは20年前の子供と今の子供は違うものだという認識の方が世間的に強いからだ。
だがその認識自体も20年前と変わらないのだ。
つまりあの頃も「今時の子供は走り回る原っぱもなくて家でテレビゲームばかりしている、末恐ろしい~。」といわれていた。
今の子供は挨拶が出来ない。覇気がない。無責任。やる気が見えない。etc,,,.と。
で、思い出してほしい。こういった子供への評価は実は私たち自身が子供の頃親や世間や先生からいわれ続けた事でもなかったろうか。
考えてみればあたりまえだ。ちゃんとした挨拶の習慣が、ちゃんとした責任感が、ちゃんとした社会性が、子供にある訳ね~だろ!子供には子供の世界がありその中で懸命に生きている。それが大人の尺度からずれるのはいつの時代でも当然の事だ。
つまり変わったのは人間ではなく。環境だという事だ。環境が我々の生き方を変えるのだ。
環境と言っても自然環境だけではない。刻々と変わる社会通念や我々を取り巻く物質環境、生活環境の話だ。
例えば携帯電話が普及した世界とそうでない世界では人々の行動だけではなく考え方や社会的常識も変わってくる。
携帯電話のない世界では留守電に用件を吹き込んでも相手方がそれを聞くために家に帰ってくるのを待たなければならなかった。逆に言うとすぐに返信がなくても不審がられる事はなかったのだが。携帯が普及してからはそうも行かない。
丸一日携帯に出ないと「もしかして海外にでも行ってるのでしょうか?これを聞いたら連絡くださ~い。」ということになる。
留守電やメールに即反応しないのは何か特別な事情があるに違いないという常識出来てしまっているのだ。
俺は日によっちゃ電話に一切出ないぜ、なんて言ったら、もう変人扱いか、もしくは仕事のできねー奴という烙印が押されてしまう。
「スローライフ」なんて言葉が最近聞かれるがこれは明らかに今言ったような風潮に対するアンチテーゼとして生まれたものである。僕もゆっくりと時間のながれる生活にあこがれのようなものを感じているが、へたに鵜呑みにして「スローライフ」を決め込んでいたら、是非に関わらず痛い目に遭う可能性が高い。
このように携帯ひとつとっても世界に与える影響は計り知れない。
でもこの20年と考えたときに思うのは、、そうこの間の変化とは、環境の変化の蓄積にすぎず。我々に真の変革のようなものは一切起きなかった、という事だ。
僕はこの20年「何かを変えてみよう。」その一念でやってきた。歌謡おこちゃまロックとの決別。日本語のロックの確立。海外に対抗しうる音楽。日本の進むベきそして作るべき音楽シーンについて。そんな事をずっと考えてきた。
真の改革は一切起きなかったと先程述べた。だとしたら僕の仕事はまだまだあるという事でもある。(笑)
そう20年が単なる通過点にすぎないということがよくわかった。
今年も押し迫った。
僕は毎年この時期に来年こそはとここで、叫んでいる。今年も同じように叫びたい。
メリークリスマス!アンド ア ハッピーニューイヤー!
来年はいっぱい仕事するぞ。アルバムも出すぞ。
みんなにも良いお年を!!
上田現や! 07/12/23(Su)14:05
半年かけてたった一日だけの参加になってしまった、20周年記念ライブだった。
それでも、参加出来てよかった。
お客さんが喜んでいる顔を見るだけでも俺は幸せを感じた。
又あらためて札幌、名古屋、大阪、博多すまんと思った。
楽屋でメンバーと色んな話をした。くだらない事、懐かしい事、音楽の事。
恭一は明日がこなければいいのにといった。
色んな思いがつむじ風のように現れ通り過ぎていった。時間は平等で残酷だ。
昨日の今日ではうまく話せないや。
ライブが終わり明かりの消えたAXの上に月が出ていた。なんかじっと見てしまった。
上田現や! 07/10/23(Tu)0:20
皆の書き込みを読んだ。正直にいうと名古屋、大阪、福岡の欠席を発表して数日は自分のHPを見る勇気がなかった。
だがそんな子供のような逃避をしても仕方ないので(笑)、ちゃんと全部目を通した。
みな文句のひとつも言いたいだろうに、どの文面もあたたかかった。それが何より有り難かった。あらためて済みませんでした、そしてありがとう。
実は僕は仕事を休んだのは今回が生まれて初めてだったのだ。遅刻したり、場所を間違えたり、数々の迷惑をかけて来たあほうなのだが、不思議と穴をあけた事はなかった。
なんだかんだと言いながら、僕は自分の仕事に誇りを持っている。音楽は居場所かもしれないし、探し求めている所かもしれないし、恋人かもしれなかった。よくわからないが大好きなのだ。だから結構うろたえていたのだ。
自分が書いた曲に中に「夕焼けロック」という名曲、、、失礼、曲がある。
そこで僕は右手が動かなくなったら切ってしまえと言っている。こだわらなくても左手があるじゃないかといっているのだ。
あまり力が入りすぎるのも、失敗につながるということを流石に学んでいる年になっているが、気持ちも新たにAXに望もうと思う。
今日から名古屋が始まる。ツアーみなさん楽しんできてください。
上田現や! 07/10/10(We)7:49
本当にごめんなさい。
とりあえず退院しましたが、体調は非常に悪く札幌を断念する事にしました。今は治療に専念する事が第一と考えた上の選択でした。
楽しみにされていた方の事を思うと本当に申し訳なく、又僕もとても悔しいです。申し訳ありません。
レピッシュのメンバーは前日入りして本番に備えています。絶対「20周年か、さすがレピッシュ」という演奏をしてくれます。是非!札幌に行かれる方楽しんできてください。よろしくお願いします。
上田現
上田現や! 07/8/18(Sa)11:44
何か雨ばっかりだな、、自ずとhpも雨の話ばかりだ。別に雨は嫌いじゃないがこうも続くと困ってしまう。
さてもう発表済みだが、レピッシュは20th anniversaryと名うってライブをやる。
パヤパヤから20年。上田も久々にレピッシュだ。喜んで参加する。
まずライジンングサンに向けて始めよう。僕が大好きなイベントだ。会場は何処までも広く、お客さんも素晴らしい。これぞ野外ステージだ。去年は大雨だったが今年は晴れてくれないかな、、。
きっとお客さんもメンバーも色々な思いが重なるライブになるだろう。
僕はこころから楽しもうと思う。会場に来れる方は楽しみにしていてください。
上田現や! 07/7/17(Tu)16:42
凄い雨だったなあ~。
楽屋から雨の中、みんなが並んでライブを待ってくれているのがずっと見えてた。うれしいやら、申し訳ないやらでぐっときた。国宝相手じゃ勝手に雨宿りも出来ないし、お疲れさまです。
しかし、Fumioとやった去年のライジングサンといい、結構僕のコンサートは雨が多い。藤原紀香級だ、、雨男かもしれない。
でも、dubと雨音は相性がよかったでしょう?!
ちなみに会場の方丈の間からはで~んと庭園が見渡せるようになっている。庭は美しくライティングされて、雨がそれこそ絹糸のように光っていた。
その中で、Piano to dubをやった。
雨は音にまとわりつくように感じる。ひとつひとつの音が庭で跳ねているように思えた。曲によって降ったり、やんだり。偶然との駆け引きも楽しかった。ぼくはお客さんは当然として庭相手にも演奏を楽しんでたのよ。
初めての高台寺は「状況」に、二回目の高台寺は「アコースティック」に、そして三度目の今回は「ダブ」に主眼を置いた。
ダブの語源は当然ダブルだ。同じ物が二つ、、。
でも、ぼくの考えは少し違う。つまり実体と虚像の混在だ。
そこに確実に「あるもの」と「まぼろし」。
今回この年にしてやっとその入り口が見えたような気がした。全曲ではないがそう思えた。このイメージを大切にしつつも、別にテーマなんかぼよよ~んで何でもええもんね。も忘れずにこれからもやって行きたい。「こうでなければならない」が強すぎると柔軟さを失う。そう思うとむずかし~ワ。
ライブが終わって奥村と眼下に広がる雨上がりの京都の夜景を見ていた。低い雲、低い街並、そう京都は巨大な建造物を建てないように条例が行き届いている。美しくてどこか重い街並。東京や大阪とはまったく違うメッセージをかんじた。
ELE bass 石川具幸 per 杉野寿之 gu 奥村大
music tabloid 川原田仁 マネージャー増田 photograph 緒車寿一
p,s
京都駅の建築はどうかと思う、、。
上田現や! 07/6/26(Tu)0:35
さて明日は最終リハーサルだ。
お寺でpiano to dubだ。
訪れた事のある方はもちろんご存知だろうが、高台寺は京都東山の小高い所に立っている。東山はこの先急に勾配ががきつくなり、人を受け付けない。
東山は高台寺が終着点だ。人間社会と自然の境界示しているかのような場所に映る。
方丈の間はそんな高台寺のど真ん中にある。
考えてみれば方丈とは四畳半という意味だ。なぜあのデカイお堂が方丈なのだろう。う~ん、いつも思う事なのだが世の中僕の知らない事だらけだ。
知らない事だらけだから面白いとも言えるし、途方に暮れる事もある。
「十秒後の世界そんなことさえ僕は知らない」
たぶん、知らない事は知らなくてよいのではないかと思う。でも知りたい事は徹底して追いかけても良いだろう。
え?いってる事が変?
知らなくてよい事と知りたい事、そんな物がからまって世界を作ってるような気がする。
ライブを前に興奮して話がトッ散らかってしまったが、音楽も似たようなものだ。正しい音楽なんか何処にもないんだけど、でもすばらしい音楽はいくらでもある。
何か出来るといいな。24日お待ちしています。いつもそうなんだが、楽しみで仕方がない。
上田現や! 07/6/21(Th)22:29
「三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません。それでもお会いしたいと思うのです。」
清順の「陽炎座」にこんな台詞がでてくる。原作は泉鏡花だが読んでいないので、この台詞が清順の言葉かか、鏡花の物かは実は知らないがそんな事は重要ではない。とても惹き付けられる。
今月の24日の高台寺のライブは三度目。死ぬのは困るが三度目だから大丈夫、恋に至る道程だ(笑)
僕は今回の高台寺でひとつの形を完成とまでは言わないが、提示したいと思ってる。この数年向かったグランドピアノに対する僕なりの答えだ。僕はピアニストではないがキーボーディストではある。
指はとろいワ、左手の中指は無いワ、といった状況の中で僕がグランドピアノに弾かれていったのは引き算の発想とそれによって出来る間の演出だった。
今回タイトルは[PIANO to DUB]だ。引き算と足し算。「やっぱアコースティックやで」という人も「いやループの心地よさが分からんかね?」という人もいるだろうが、それは自分で壁を作ってしまっている。
もっと音楽はしなやかで自由でいい。そんなライブをする。
高台寺は以前三回、上田さんにお貸ししましょうといってくれた。この先があるかどうかは分からないが約束の三度目だ。もう頭の中では出来ている、昨日あたりからずっとなっている。もう僕は高台寺にいるのだ、是非お会いしたい。たった二百人とか三百人であの場所を占有できる幸せを、今考えてる音の世界を伝えたい。
高台寺 方丈の間でお待ちしています。
上田現や! 07/6/7(Th)22:17
何か腰がイテーよ、とかいいながらグダグダしてたら、
いや~あんた気がついたら五月も今日で終わりだ。って誰と話しとるんじゃ!
HPはなるべく更新しようと思っているのだが、、
「今日はファミリーマートでグリコの新製品を見つけて買ってみたんだけどこれがめちゃウマでハマってま~す」といったようなテメー子供の交換日記か!?
といった文章だけは死んでも書きたくない。
別にすべてのHPやプログの内容はこうでなければならないという定義も規範も必要ないが、本当にどーでもよい内容の文章を読まされた後の脱力感は堪え難い物があると思うと、なかなか気軽に書けなくなるのだ。
少し話がずれるがどの街でも、だいたい二番目に人気のない喫茶店は「ご自由にお書きください」ノートを置く事になっている。、、ホントか?
内容のある文章がそこに存在する可能性は未知の惑星に生命体が存在するよりも低いとNASAが発表しているにもかかわらず僕は未だ見知らぬ世田谷とか渋谷のゲーテがいないかと手を伸ばしてしまうのだ。
「コーヒーうまかったす!またくるねー!」
「●●子LOVE!!」
「●●中の●●は●●だ。」
ああ~なんなんだろう、この感じ。なぜこの意味無しノートはいまだ日本中にあふれているのだろう。
この読後感は目的も無く人様のブログ等を読み散らかした時に似ている。
ニュースの記事をただ貼付けてその後に「すげー!しんじらんねーぜ!」で終わってるとても感想とは呼べないブログなんかいくらでもある。なくてもいいような物ばかりだ。
多分みんな空白が怖いのだ。プログであろうが謎のノートであろうが空白のままそれを捨て置けないのだろう。僕だって真っ白な画用紙とクレヨンを渡されたら何も描かずにいるのは逆にストレスがたまりそうだ。
夜中に路地の壁にこれまたドーデモいいスプレーアート?いや落書きにいそしむ
ヤンキーの気持ちと同じだ。
でも考えなくても壁は白いのが一番美しい、、。
って、ま~このぐらい書いときゃもう大丈夫かな???
以上最近HPの更新をさぼっていた、見苦しい言い訳でした。めんご!!!
ちゃんと又書くね!LOVE!
上田現や! 07/5/31(Th)22:44
昨日はご来場有り難うございます!!
川村女史はピアノの達人なのでなかなかに緊張した。荒い演奏の上田のこと、時々頭を抱えたくなる場面もあったが(ごめんよー)、それでもアコースティックライブの楽しさを感じていた。
リズム隊のいない形のセッションライブは生まれて初めてだったのだが、このような形式でも自分の世界観のようなものはなんとか作れるとも思った。
思ったのだが、何にせよ、お洒落なお店である。港が一望に開け、船が行き交い、窓の外ではMisiaが絶唱している。、、してないか。
そういう意味では鍛えて頂いた。どんな場でも何かを創作する事、、。上田はまだまだ学ばなければならない。
オープニングでは朗読から始まり連弾に移行するという普段は出来ない事も経験させてもらった。多分連弾なんて川村さんとのライブがなければ一生することなんかなかったのではないかと思う。
面白い事に女性の横に座って手が互いに触れんばかりに同じ鍵盤を弾き始めたときにふと思い出したのは中学校での体育祭のフォークダンスだった。どことなく気恥ずかしく相手の目が見れないあのなんともいえない感じだ。連弾恐るべしだった。(笑)
ところで話は変わるがリーハーサルの時から僕の頭の中でずっと鳴り続けていたのはいしだあゆみのブルーライトヨコハマだった。赤煉瓦という事もあってか、ヨコハマには昭和がよく似合う。
マッカーサー、氷川丸、チャップリン、グランドホテル、バンドホテル、ホエールズ、東急桜木町駅、、、。今はなきヨコハマを思った。でもステージではあまりしゃべらない方が良いような気がした夜だった。
追伸
奥村と平田は何かとても光るものを見せていた。ロック畑の人間も畑を変えるとこんなに輝きを変えるのだと感心した。なぜか上田はあまり変わらんようだが、、、。ではまた!
上田現や! 07/3/18(Su)22:28
明日は横浜でライブだ。横浜でコンサートをするのはひさしぶりだ、久しぶりすぎて、いつ以来か思い出せない(笑)
昨日は川村女史との最終リハーサルだった。アコースティックライブだが色々と試してみて、形は決まった。後は上田が間違わないように祈るだけだ。ってどんなプロやねん。
とにかく、明日を楽しみに今一人千本ノックをやってます。会場で会いましょう。お近くの方は是非!
上田現や! 07/3/16(Fr)13:33
わ~~~! 沢山のbirthdayのお祝いメッセージありがとう!!
この年になってもおめでとうといってもらえるのは、本当にうれしい。うれしいです。46歳だよ!今年でプロになって20年になるよ。あっという間だったので、何か不思議な気分だ。もちろんこれからもやっていくんだけど、凄く元気を頂きました。ありがとう!
今日現在上田はプロデュースを頑張りながらも、平行して少しずつソロのレコーディングの準備にも入ってる。目立った動きが見えないから何してるのかなあ?、と思ってる方もいるだろうけど、その分制作活動をしていると思ってください。
ワシャ何でも遅いのじゃ。
また17日には久しぶりに川村女史とジョイントでやってみます。横浜なんだけど見に来てやってくださいな。
では!!!!!
上田現や! 07/3/3(Sa)17:38
最近テレビでは柳沢大臣の「女性は子供を産む機械」発言で大騒ぎしていた。
僕もこのニュースを聞いたときはもう腹が立つというより、呆れ返っていた。そしてこんな馬鹿な事を発言する人間がこの世にはいるのだなあ~!と思った。思ったのだが、、何か解せない。ひっかかる。
そう、いくらなんでもこんな事を考えてる人間が平成の時代にそうそういるはずがないからだ。僕が想像するに、アンドロイド振興友の会とか、人間機械化推進委員会、の方々ぐらいしか思いつかない。っていうか、おらん!そんな人種は。
マスコミは「産む機械」の部分にライトを当てているがその前後の発言には触れない。少し冷静になって心をよぎったのは、その昔あった美濃部達吉の「天皇機関説」問題だった。
この学説は簡単に言うと国の主権は誰にあるかという話だ。主権は国民か国家か天皇かと考えたときに、天皇は機関の上で最高位なのであって、主権を持つ訳ではない、主権は国家にある、という説だ。
だがこの美濃部というおっさん日本中から袋だたきにされる。それは「恐れ多くも天皇陛下を機械?呼ばわりするとは何事だ」と騒がれたからだ。戦前のお話だ。
原本を見て判断すべき問題かもしれない。
調べてみた、、。
(柳沢伯夫厚生労働大臣の発言)
島根県松江市 1月27日
「人口統計学では、女性は、15歳から50歳までが出産をしてくださる年齢なんです。
ということなんですから、15歳から50歳までの人の数を勘定すると
もう大体わかるわけですね。
他からは生まれようがないんだもん。
急激に男が産むことはできないわけですから。
あとは、産む機械と言ってはなんだけど
装置ですね、数がきまってしまったと
機械って言っちゃなんだけども
そういうのが決まっちゃったということになると
あとはひとつの
機械って言ってごめんなさいね。
産む役目の人がひとり頭で
頑張ってもらうしかないんですよ、皆さん。」
読んで理解できた。柳沢のおっさん語彙が足りない上に、言葉に対する感性が無いだけだ。それゆえ不快に感じる方もおられるだろうが、別に差別主義者でも何でもない。言葉を知らない、ただの不勉強者だ。
人口統計学上出生率から考えた場合、女性の個体の総数が決まっている以上は出産可能者の総数も自ずと固定される。だから、一人あたりの出産率を上げるしか無い、みんな頑張って!と言いたかったのだ。言いたかったのだが、うまく言葉が出てこなかったのだ。それでも本人も失言の自覚があったのだろう、自分の発言に対する訂正、謝罪が発言の中にちりばめられている。
内容も無ければ、言い方も最悪なスピーチだが、決して「女性は子供を産む機械です」と発言している訳ではない。自業自得の面もあるが、マスコミから鬼畜呼ばわりされ、人格を否定されるような事件ではない。
問題は厚生労働大臣にも関わらず、出生率を上げるには個人の頑張りしか方法が無いと発言している所の無能にある。
なんか上げた拳をどうしたらよいかわからない話だ。
マスコミの世論形成術はいつも同じだ。「わる~い奴がいてそれに対して健気に立ち向かう市民たち」という図式だ。配役が先なのだ。まず悪役が決められる。そして被害者が決められ、必要に応じて評論家や市民団体が動員され、世論を形成し悪役を追いつめてゆく。
悪役が本当に悪者なら素晴らしい連係プレーだ。プロが見て間違いなく悪者であると確信するなら、姉歯も金正日も奈良市役所の5年で8日出勤君もペコちゃんもガンガン叩くがよろし。
でも僕がいいたいのは何でもかんでもこの図式に当てはめるなよこら!ということだ。
このやり方だと、まずテレビ局が誰を悪役にするかを決めてから、取材が始まる事になってしまうからだ。
正月のあの騒ぎをみんな覚えているだろうか。DJ.OZMAが同じ事務所だから擁護するのではない。(笑)
元々どうでもいい問題で被害者も加害者もいないような話なのだが、無理矢理事件にされてしまった。非難するマスコミの論点が支離滅裂で、振り回される彼等やスタッフが本当に気の毒だった。
何に誰がどのように傷つき怒っているのかさっぱりわからなかった。そういった意味ではマスコミは配役から脚本までいいかげんなまま、上映を封切ってしまったケースといえる。
たぶんに大晦日に楽しそうに仕事している人々が許せなかっただけなんだろう。浮かれれてるように見えたんで、叩きたくなったんだな。いじめの構造だ。
正面からきちんと批判する能力がないから、不謹慎とか、見ていた子供がかわいそうとか論点をすり替えたんだな。うまい具合に政府機関まで口を出したもんだから、自分たちに正義があると勘違いしてしまった。
前に先に配役があると述べた。脚本がないとニュースが作れないのなら報道をやる資格はない。ミュージシャンがメロディと構成を決めてくれないと作曲できないといっているのと同じだからだ。更にその脚本が酷いのなら目も当てられないということだ。
「あるある」の問題も多分根は同じだと思う。
なんかテレビを見ながら思った事を書いてみた。
上田現や! 07/2/12(Mo)15:53
ハービー山口というカメラマンがいる。何となくチャーリー緒車に似た響きだが、全然関係ない。大御所のカメラマンだ。レピッシュで撮ってもらったことがある。
先日彼の番組に呼んで頂いた。長々と話をさせてもらう中でもっとハービーさんの話を聞きたいと思った。番組の中ではどうしても司会進行のハービーさんが聞き手になってしまうからだ。
以前は彼の本当にあたたかい人柄とロックミュージックシーンを撮り続ける姿勢とのギャップをどう捉えてよいのか良くわからなかった。それこそロンドンパンクをリアルタイムで撮ってきた人なのに、穏やかな精神が彼全体を包んでいる。
というか、それをギャップと感じている時点で、単に当時僕が子供だったということなのだが。
新宿で写真展が開催されて、トークショーもあると聞いたので出かけた。
写真の事、音楽の事、若き日の闘病について等色んな話をされていた。興味深い話ばかりで、わくわくして聞いた。語るハービーさんの真後ろに「サイキックtv」の写真が展示されていたが、絶対客は知らんぞと吹き出してしまった。
以前は何か言わなければならぬと思って話したが、今は年を重ねて、経験談を淡々と語る事が人の役に立つと思ってしゃべっているともおっしゃった。
すごいな、現に僕も沢山何かをいただいて帰る事ができた。
今回ハービーさんにライブを全編テレビカメラで撮ってもらってそれを放映してもらえる事になった。年末にやった極東クリスマスだ。
二月七日にon airなのだが、一つ問題がある。みんなの家はBS-iは映りますか?
液晶テレビもってますか?、え、ない、、。そう、、すまん。
いわゆる、テレビ局のカメラさんが撮ったものとは全然違うものになるのではないかと僕も楽しみにしているのだが。見れる人はぜひ見てね!詳しくはschdule&infoをみてね!!
上田現や! 07/2/6(Tu)1:23
新年明けましておめでとう!今年も宜しくお願いします、とこれじゃ殆ど年賀状の書き出しだがまあ新年早々気をてらう事もあるまい。これでいいのだ。
平成19年だ。でもマヤ暦では5125年だし、ユダヤ暦5767年で仏暦2551年だ。そんでもってペルシャ暦1385年の皇紀2667年ときて西暦2007だったりもする。相変わらず、うるさい?すんません。
まあ、そういった意味では新年なんて観念というか集団幻想のようなものだと言われたらそれまでなのだ。中国ではまだまだ正月は先の話しだし、ロシア正教の世界ではクリスマスさえまだだ。
でもそんな寂しい了見で世の中を眺めてもつまらない。
なぜ砂漠の民がラマダンを行うのか一度考えて欲しい。色んな答えがあるだろうが、僕はこんな風に考えてる。
一年中雨の降らない世界はそれこそほっておくと淡々と時間が過ぎて行く。でも実際はそこにだって当然人びとの暮らしがあり、喜びや悲しみが積み重なっているはずだ。祈りや願いや怒りや苦しみが交錯するする世界なのだ。
人はベルトコンベアーの様に人生を均一に生きているわけでは無い。
止まったり進んだり曲ったり戻ったりとそんな簡単にはいかニャイ!ひとつひとつ糸の様に紡いでは「ほんまにやってられへんで~!」と叫びながらも「まあ、こんなもんかいな~」と思ったりもするものだ。
こんな時人は時間に楔を打つのだ。酒を飲む人もいるだろう、旅に出る人もいる。タバコを吸う人もいれば、麻薬に手を、ってそれはやめなさい!
砂漠の民はせ~の、でラマダンをするのだ。断食により時間に楔を打つ。それは四季の無い世界の住人の生活からにじみ出たアイデアのような気がする。きっと断食月は習慣と言うより季節なのだと思う。
我々だって同じだ、暦を作り楔を打つ。時が勝手に流れるのが恐いのだ。何とか時さえも管理出来ないものだろうかと試行錯誤した結果なのだ。だが時間は我々を遥かに超えたスケールで動いてる。そう考えると暦さえも少し悲しみを帯びて見えて来るのだ。
さてウエダ暦46年の今年は何をして遊ぼう!!物凄~くアルバムを出したいし、ツアーもしたい、実はみんなの応援にもかかってるぞよ、っていきなり責任転化かよ!(笑)
とにかく幾つになろうが気合いだけは元旦から入ってるので今年も宜しくお願いします。
上田現 元旦
p、s
先日の極東クリスマスの日 チャーリ-とチョコレート工場のWONKチョコをもらった。ゴールデンチケットが入ってたらどうしようかと本当にドキドキしてしまった。結局はハズレだったのだが、っていうかアホだ、、。
上田や! 07/1/1(Mo)1:29
先週は極東クリスマスに来てくれて有難う。
わざわざ慌ただしいクリスマスの時期に上田の音楽を聞きに来る奇特な方々に感謝する。ありがとう。
blue jay wayにはグランドピアノがある。僕は近年までライブでグランドを弾く事はなかった。
単にロックのライブでグランドピアノの音を拾う事の難しさとそれに伴う予算の問題だったのだが、実際コンサートで触れると楽しい。考えてみたら、ドラムもエレキギターもベースも、そうkeyboad楽器以外はアナログ楽器だ。
演奏を楽しむ。そういった意味ではデジタル楽器は損なのだ。
もちろん僕はアコースティック至上主義者ではない。もともと、シンセを弾いてプロになったわけだし、作曲もマックでやる。打ち込みの楽しさ美しさも知っているし、余談になるが今でもサイン波の周波数を1対2の比率でかけ合わせた基本中の基本、矩形波を作っているとほっとする。減衰しない笛の音は悲しい音に感じる時さえある。
つまり僕の考え方はこうだ。アコースティックだから良いとかアナログだから良いという考え方はしない、方法論は何でも良い。結果出来上がったものが面白いかどうかだ。何でもありなのだ。
ただ思うのは演奏していてグランドは楽しいなということだ。
言ってしまえばそのままだ。細かい設定も何も無い、そのままだ。つたなさもそのままなので困ってしまうが、、。
ところで話しを変えると僕の場合、順番を間違えたりする以外はライブは曲順が決まっている。決まっている以上歌えば歌う程終わりが近付いて来る。それがとても寂しかったりする。名残惜しいというやつだ。
極東クリスマスは「今年もこれで終わりか~」と思うと少し寂しかった。そんな時はよけいに喋ったりしてしまう。小心者だ。(笑)
誰もが思う事なんだろうけど今年もあっという間に終わった。年の初めには「アルバムを出す!ライブもガンガンやる!」と息巻いていたが気が付いたらもう2007が目の前だ。来年こそはと念じて上田は平然と又年を越して行くしかない。音楽に予定通りという言葉は意味をなさないのだから。
ではみなさん良いお年を!!次は元旦に書くよ!!
p、s
ライブでスタッフの皆に感謝すると言ったが名前をいちいち呼ばなかった。楽屋落ちもどうかと思った。
ここに名前を書く。
special thanks to
kawarada,masuda,tome,reiko,shigesan,abe,kudou,miki/
上田や! 06/12/30(Sa)1:03
ここの所、腰が痛くてHPをさぼってた。ごめんよ~~。ホームページって急に休まれると何か時間が止まったような感じになるな、、。捨て忘れられた新聞のようだ。
で!ここにウエダが現れたという事は復活したという事だ。心配無用。
12月のライブ、百物語は「極東クリスマス」とした。毎年この時期に言ってるが、僕はキリスト教徒ではない。もちろん君たちの多くもそうだろう。だいたいクリスマスにケーキ食べたり、デートしたり、そしてあわよくば、、うふふふ。なんて国は日本だけだろう。でもまあ考えりゃそうだ、我々にとっては宗教行事ではないのだから。
なんか遠い国から来た、光に溢れた冬のカーニバルといったほうがイメージが近い。眩いのに季節のせいだろうか、おごそかでもある。
暗く寒い冬の町に、ぽっと咲いたようなイルミーネーションは押し迫った師走の街を優しく彩る。そこだけあったかくて、なのに何処か寂しくもある。明らかにパチンコ屋の電飾とは違った記号を持っている。ごてごてのクリスマスツリーやイルミネーションが凄く綺麗な物に見えるのだ。
又クリスマスの街は一種の自分を映す鏡でもある。
楽しく充実している時は、とても華やいで見えうきうきとするが。落ち込んでいる時は本当に自分はこの世で独りぼっちだと感じる。
マッチ売りの少女がクリスマスに倒れたのは偶然ではないのだ。ツリーの明かりはその下にいる者だけを照らす。遠く何処までも届くメーッセージではないようだ。
だから師走の街ははかなく、もののあわれを感じ時さえある。僕がクリスマスに惹き付けられる理由はそこにあるのかもしれない。日本的だとさえ思う。
サンバカーニバルが一般には日本で浸透せず、クリスマスがここまで浸透している理由は案外そこにあるのかも、、。
日本のクリスマス、、。デパート商戦、お菓子屋のキャンペーン、はたまたTV,マスコミを巻き込んだあさはかなクリスマス、、。
「極東クリスマス」はそれでも僕のこころの何かをノックするのだ。
イブイブ(書いてて物凄く恥ずかしいぞ、イブイブ!!)だが見に来い百物語。
事務所から騎士団とタイトルかぶってますけど大丈夫ですか?とメールが来てたが気にせず行ってみよう!
p、s
それから21日はしゅんたろ~というお方とジョイントライブをする。こっちはピアノ一本だ興味のある方は見にきてね。
上田や! 06/12/18(Mo)16:48
こちらにはお初の書き込みでしょうか、マネージャー増田でございます。
上田現の書き込みがお留守のスキをついて書かせて頂きます。いや、スキがあっちゃ困ります。
本人の書き込みも促しますので少々のお待ち下さいませ。
さてさて、皆さんへのご報告且つ、自分のケツを叩く意味でも告知でございますが、現在ホームページの大リニューアルの準備を進めております。
先日、新しい写真の撮影も行いました。ライブの写真など、これまでマネージャー増田が撮りためている数々の貴重なカットもご披露出来ればと思います。
そこには上田現のあられもない姿がぁーー!!…の「あられ」ってなんですかね?答えの分かる方、書き込み大募集です。
ちなみにマネージャー増田、「世知辛い」という言葉を正確に把握したのはここ数年での出来事です。
それまでは「せちがない」だと思っていました。せちがない→おせちがない→おせち料理が正月に食べられない→辛い状況。
こんな風に全く違う弾道を通ってなんとなく本来の意味に着弾していたのでした。ある種奇跡!
みなさんはこんな経験ないでしょうかぁ。
とヨタ話はこれぐらいにして、リニューアル版完成の際にはアドレス(URL)も変更する予定でおります。
こちらに告知させて頂きますのでご確認宜しくお願い致します。
では、、
奇人変人ぶりもいい加減にしろ!の隣人の本性が明らかになりつつある上田現Blog
新たな書き込みをお楽しみ下さいませ!!
マネージャー 06/11/12(Su)20:54
先日ライターの佐々木美夏から
『TOPページhttp://musicshelf.jp/
佐々木のページhttp://musicshelf.jp/?mode=playlist&id=9063
実はこんなサイトがあります。プロモーションと思って、現ちゃんもセレクタになって
「好きな10曲」を選びませんか?
原稿料も出ます。
いかが???
何をするかと言うと、え~とね、まずテーマを選ぶ。
私の場合は「好きなバンドの隠れた名曲」にしたけど、
なんでもいいのだ。「おなかがすいたときに聞きたい曲」でも
「ムカついたときに聞く曲」でも「隣人と戦うときの戦闘歌」でも(笑)。
で、そのテーマに沿って10曲選ぶ。
んで、決まったらフォーマットに書き込んでくれればOK』
というメールが来た。う~ん面倒?と思った瞬間に「原稿料も出ます」が目に入った。うう、やりたいかも。。。
動機は不純だがちゃんと選んだ。
俺のページは http://musicshelf.jp/?mode=playlist&id=17025だ。見てやって下さい。
所で昔からよく、今年の三枚とか人生を変えた五枚とか、ベストアルバムを聞かれる事が頻繁にある。
いつも、ちゃんと書いているのだが、どうしてもその日の精神状態によって答えが変わってしまうのだ。だって楽しい音楽が聞きたい時、誰かの深い思考に触れたい時、情感あふれる音楽を纏いたい時等、日によって違わない方がおかしい。それに好きな音楽家だけで100人はいるから困ってしまう。
だから今回もその時の気分に沿っている。気分に沿っているけど本当にそう感じたと言う事だ。
p、s
マネージャー様ちゃんとギャラの三割払います。(笑)
上田や! 06/9/21(Th)23:24
こりゃ困った。っていうかお手上げだ。消しても消してもエロサイトの書き込みが自動的にbbsに行われている。あまりにレベルの低い攻撃なのでため息もでない。
増田マネによるとウイルス感染したパソコンから書き込まれることにより起きる悪質なパターンらしい。でも、まねじゃー!「わたしがこまめに消しておきます」って全然消えてないよ。自分でやるから消し方教えて。何か誇りを汚された気分だよ。あ~あ、一度閉鎖するしかないんだろうな、、。とほほ。
敵は僕が最も嫌う美意識と想像力のない連中なので何を言っても無駄だ。エロサイトだから言ってるのではない、これが例え世界平和を唱える連中でも俺にとっちゃ同じだ。他人のサイトに大量の宣伝を貼りつけて、仕事した気になっているのだろうか。本当に情けない。
これはbbsだけの問題じゃない。皆のパソコンも迷惑メールの嵐だろうし、ポストは不要なチラシで溢れているはずだ。
現代は市場をきちんと分析して考えるよりも、無作為にメールを送った方が早いや!といったさもしい感覚が蔓延している時代だ。それほどにコンピュータはこの10年で本当に進化した。
僕はコンピューターの功罪については興味はない。というのは全てのもの、ロックミュージックだって民主主義だって、ダイナマイトだって、もろ刃の剣だ。コンピューターではない、これは人間の問題なのだ。
いまや誰もがどんな分野にでもコンピューターを使って参加出来る社会に成りつつあるのかもしれない。それは新たな可能性を生むだろうし、又僕が音楽の世界にいられるのもその流れと無関係ではない。
それでも思うのだ。僕が少年の時に描いた未来とは大分違ったな~と、、。なんか逆に色んな意味で貧しくなってじゃん。
そんな事を感じた。っていうか何とかしてくれ~!しくしく。
上田や! 06/8/27(Su)1:30
雨の中みんな来てくれて、本当に有難う。
楽屋で、この雨じゃ人が集まらないかも知れないがもちろん100%で行くぞとフミオと話したぐらいヤバイ天気だった。
だから、ぞろぞろと人が集まって来た時は嬉しかったのだ。我々のステージはメイン会場から少し、いやかなり離れているので移動するだけでも泥でぐちゃぐちゃになる。
にもかかわらず、とても良いお客さん達だった。多分にフミオの人徳のおかげ?(ダァ~)。っていうか毎回のようにいっているが、俺はいつもみんなに何かを伝えたいと思いながら、結局みんなから何かをもらっている。本当に有り難い。
我々に出来る事は音楽をする事だけだ。だからウエダとイトウで歌を歌った、ダブをやった、直球を投げた。フミオのソロに「広い空のメロディー」という曲を書いたが、どの曲も遠くどこまでも届くように祈りながら奏でた。
どしゃぶりでもオイラの心にはライジングサンが昇っておるのじゃ。(笑)
フミオとはアルバムを一緒に作った間柄だったが、一緒にライブを作るとあっという間に仲間になる。普通は何ヶ月もかかる行程が一瞬に起きてしまう。
そういった意味ではdrの土方幸徳もbassの御供信弘も又能楽堂でのguのソンルイも同じだ。もう何年も一緒にやってる気がした。川村と組んだ時も同じ事を思った。
ライブが終わって、又何か一緒にやれたら良いなと言いながら、我々は長い長いアルコールの夜に足を踏み入れていった。
上田や! 06/8/24(Th)0:10
もう少し経ってしまったが、百物語20夜「world」は楽しかった。来てくれた方、本当に有難う。
東京は能舞台だったので音量やセッティングの制約があったのだが、それを逆手に取れたと思っている。
「どこででも、やるぞ~~!!」というのがまあ、百物語の基本精神でもあるのだが、流石に能舞台は少し手強い。いわゆる神社仏閣と違って、能を舞うためだけに作られた場所だ。一歩間違うと世界観のぶつかり合い、ただの喧嘩になる。
今回、それを回避するのは結局人間の力だとつくづく思った。
橋がかり(能舞台の花道)の上で演奏する、増井のトロンボーンやソンルイの二胡を聞いた時、本来の使い方とは全く違うのに、僕にはそのためにある場所に見えた。
それは、どんな場所でも自分の演奏を信じているプロだから出来る事だと思ったのだ。
20夜のテーマは「ワールド」だった。僕達は音楽で世界を求めながら、結局は人間に帰らざるを得ないのだなと思った。
p,s
又この週はマネージャーは不眠不休で働いてくれた。直接言うと照れくさい、ここで言う。
「増田お疲れさま!」
では明日はサッポロ、フミオとやるのも久しぶりだ。今日は最終リハ-サル。エゾロックに行く人は是非!
4、30よ!4、30!
雨降りません様に、、、、。
上田や! 06/8/17(Th)13:26
京都、東京のライブから二週間がたった。自分としてもとても楽しめたライブだったので、ここで沢山はなしたい事もあるのだが、今エゾロックの準備であたふたしている。サッポロに行く前になんとか書こうとは思っているのだ。ちょっと待っててね、、。 上田や! 06/8/12(Sa)0:02
言い忘れた!!!!京都拾得、はっきりいって少し不便な場所だったが、大勢来てくれて本当に有難う。
とても良い感じでやれた。もし楽しんで貰えたのなら何よりだ!寒山拾得先生からみれば、我々はまだまだひよっ子だが、さらに色々とやってみたい。又遊ぼう!
上田や! 06/7/29(Sa)23:49
先程京都から車飛ばして帰って来たぜ!(運転したのはマネージャーだが、、)
気の毒にマスダマネージャーはそのまま明日の仕込みのため、我々を降ろすと直ぐにそのまま大森まで器材を取りに行った。今度おごるよ、、。
というわけで、明日お待ちしてます。能舞台じゃ!!!!上田や! 06/7/29(Sa)23:41
わーお、いよいよ百物語だ。メンバーはカゼでボロボロだが、俺はむちゃくちゃ元気だ。何故なら!俺はもうカゼをうつし終えたからだ。
で、明日は言葉にするのが難しいが、表面的には燃えたぎっていないのに中からなんかグオーと藤川の直球が現れる感じ、、言ってる自分がわからん、、。
要は静の中の動を考えているのだが、ウエダ自体がいまだ静をわかっていないのでは、と突っ込まれる前に自己分析もそう言っていると告白する。(笑)
たとえが悪いかも知れないが、RPGをやってみると必ずといっていいほど「属性」という概念にぶつかる。
剣士現ちゃんの属性はちっちゃくて騒がしくて、ってそんな属性はない。いわゆるアースウインドファイヤーのどれかに人は属するという考え方だ。その昔レインボーマンはインドで修行して全部出来るという設定だったな、、。関係ないか、、。
自分が何に属する人間であるかなんて、現実世界では本当はそう簡単にわからない。そう、そんな簡単に人は出来ていない。
でも人間が作る作品は在る種の方向性を持っている、それは何となくわかる。火のような作品、風のような作品、陰と陽を巡る作品、、、etc.
今回は曲を小さな空間に押し込めてはひとつひとつ、そんなイメージをぽんとひらいて行こうと思う。
当然ライブ自体も独特な匂いを持つのではないだろうか。
う~ん、語れば語るほど、いまひとつわからなくなるのが音楽だな、、。
大丈夫!全部頭の中にある。もう出来ている。問題は頭の悪さに在るがそれは俺の属性なのでどうしようもない。
上田や! 06/7/27(Th)22:07
さてさて、ライブまで二週間を切った。まだ先だと思っていたが、あっという間に迫って来るな。予定が決まった瞬間に「それ」は終了しているのかもしれないと時々感じてしまうぐらいだ。
いきなり例えがもの凄~く変だが、普通は自分が死ぬ日を決めていない。だから自分が死ぬ日は明日かも知れないのにそれは遠い遠い未来に感じる。でも百回ライブをしますよ、と宣言したその瞬間に、もう最終話のエンディングを考えている自分がいる。「それ」はもう明日の事のようだ。
と考えたら、たとえば、俺は百歳まで生きるぞ!と宣言した男はもう死んだも同じだ(笑)。う~む、としたら「僕は死にましぇん」といった武田鉄矢とはいかなる人物!、、、、ってもう話しの芯が見えないや、、。
とにかく、予定は予言と同じだ。成就されるべきものなのだろう。
ー 百物語第二十夜「world」ー
今回は発表の通り京都「拾得」と東京「銕仙能楽研修所」で行う。
ライブハウス「拾得」、、そういえば高校の頃、雑誌とかで見てはとても怪し気な所に感じたものだ。蔵のなかで夜毎行われるライブは何か普通のライブとは違うような気がした。
『何で「拾得」なんだろう?やはり寒山拾得からなのかな?』当時そんな感想を持った事を思い出した。
そうなのだ、寒山拾得を描いた水墨画とか皆は見た事があるだろうか?いつの時代のどういう人達かいまいち詳しくは知らないが恐さはナマハゲ級だ(笑)。きっとあのイメージがダブっているのだ。虎馬、ごめんなさい、、トラウマのようなものだ。正直なんか恐い。
あの恐さは自分が能面から感じる恐怖と似ている。見た目の恐さも当然在るが、何だろう、、異界といってしまうと陳腐に聞こえる程の内的恐怖、そう我々が普段蓋をして出て来れない様にしている何かとの対面なのだ。
日本の美はそんなものとも強く結びついている。一筋縄にはいかない。
今回百物語第二十夜「world」は「和」のテイストがある場所が選ばれた。
でも、だからといって、いきなり上田が和太鼓を叩くような勘違いライブはしない。逆に「和」を上手に避ける事によって「和」はきわだつ、と思った。きっと「世界」とはそういうものだ。
メンバーも少し悩んだ。そう、二十夜はいつもの同じでも良いような気もするし、変えた方が良いような気もしたからだ。色々と考えて、今回は奥村大君にはお休みしていただいて、ギターはソン、ルイ氏に頼んだ。
奥村は凄ーく残念がっていたので本当に申し訳なく思ったし、有り難いとも思った。熱い男だ、、もちろん又一緒にやりたい。
そういうわけで、百物語第二十夜「world」は現在大絶賛準備中だ。
「world」は目の前に在るものだろうか。それとも何処からかやって来るものだろうか。
僕らはここにいる。確かな事はそれだけだ。
p、s
エゾロックを伊藤フミオとやる。今これも大評判進行中だ。詳細はまだ話さないが、フミオ君と膝を突き合わせてのミーティングが行われている。こんな感じだ。
フミオ「げんちゃん!僕はお互い目を合わせたまま進んで行くようなライブがやりたいね。」
上田「素晴らしい!でも鍵盤見てないと俺演奏間違うよ、、。」
フミオ「、、、、、、、、、、。」
上田や! 06/7/16(Su)3:45
わーおお!ライブのお知らせだ!
久しぶりの百物語だ。場所も凄いが名前も凄い。
言うぞ!
百物語第二十夜~「world」
京都 拾得
東京 銕仙会能楽研究所にて~
だ。どっちも読めん、、、。今「敦盛」の舞いを練習している所だ(って嘘ですよ!)
能は舞わんが、面白そうでしょ!
関西はここの所大阪では無く京都が多くなっているが別に他意は無い、阪神方面からは遠いが是非来てね!
どちらも和風だからといって、内容がそうとは限らんし、急にお芸術するわけでもないわいな~ポン!
上田や! 06/6/7(We)3:53
さてさて、、ここの所書いていた話しは中断したままになっていた。週を置かずに書き続けたと思うと急に何も書かなくなる。自分はつくづくムラのある性格だと思う、すみません。
先月はハードディスクのクラッシュのせいにしたが今月も文章を書くという行動に心が向かわなかった。
あれだけ大切なhpだと普段から言っておきながら情けない。
色んな事に目が移りすぎなのだ。いつも一つの事を始めると止まらなくなる。作曲ばかりしていたり、唯ピアノを弾いてばかりいたり、あれあれ?最近絵ばかり書いてるぞ、と思ったら、投げ込みばかりしていたり(おい!)タイガースの事ばかり考えていたり(おいおい!)
ただでさえ、一つの事をやり遂げるのに普通の人より何倍も時間がかかるわたくしである、色んな事を同時に平行して作業を進める能力は自分で言うのも悲しいが、、、、低い、えっへん!って威張ってるし。
これではいけないと思い、実は本屋のビジネス本コーナーに立ち寄ってみた(笑)。そこで「机の上がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」とか「24時間無駄無く使う方法」とか「出来るビジネスマンのスケジュール調整法」とかを買って来て喫茶店で勉強してみる事にした。
よく映画なんかでも、分刻みで活動するスーパービジネスマンとかが登場するが、現実僕の周りでもミュージシャンに限らず、本当にいつ寝てるんだろうと思う程、多岐に渡る仕事量を誇る人が一杯いる。そういった人達の共通した秘密が分かるかも知れないと思ったのだ。
だがそんな本を喫茶店で読みふける、変なシャツ着た男はどこからみても「出来ない男オーラ」100パーセントなので、隣の席のおばさんの軽蔑の眼差しが少し痛い、、、。
色々と読んでみて結局この種のビジネス本が言ってる事はすべて同じであるような気がした。
つまり、、「行き当たりばったりは許さん!」と言う事だ。
整理された机、整理されたタンス、整理されたスケジュール、は整理された思考、整理された行動、整理された言動を呼ぶ、そしてそういった統制の取れた行動は予定された成功に必ず辿り着くという話しだ。
確かに整理された部屋は使い勝手がよい。仕事にも入って行きやすいし、無駄な時間も確実に減る。
~あらこんな所に牛肉が、たまねぎピーマンあったわね~と歌いながらカレー等を作っていてはろくな仕事は出来ませんよってことだろう。
本当にその通りだと思う。実際僕ももう少し仕事の手順を整理したいからこういった本を読んでみたわけだ。現にHPだけでも滞っているのにブログまで初めて、全然進んでいないし、、。
だから異論なんか無い。それどころか取り入れてみようと思う箇所も一杯あったし、目から鱗の事柄さえ少なくは無かったのだ。
だがどうしてもビジネス本の様にはいかない問題を自分は抱えているとも思った。
だって僕にとって、音楽はいつも時間と時間の隙間からやってくるものだからだ。
みなが寝静まった頃、あの意味も無い静寂の向こうからやってくる何か、、。
空気が得体の知れない重みを持つ夕暮れの頃、空を覆い始めるやわらかい何か、、。
説明したくても出来ない、出来ないけど多分皆知ってる、何か、、。
僕はそんな物と何十年も格闘して来た。
「あれこの匂い知ってる、何だっけ?でも知ってる、、。」例えばそんな感覚を大切にしているのだ。答えはもちろん無かったりもする。ただ何かが今、手に触れたような感触があるならば。その残された暗号をたどって書き留めて行く。そんな作業をしている。だから何が出来上がるのか本人さえ分からない時もあるぐらいだ。スタジオやリハーサルで仲間やスタッフが困った顔をしているのは大概こういう時だ。
ああして、こうして、こうやって、こうすれば、が通じない世界、、。そう直感の世界は一見もっとも近道に見えて実はもっとも遠回りの世界なのだと今回痛感した。しかも一歩間違うと、ただの未熟練、深みも無ければ思考も浅い物になってしまう危険を常に孕んでいる世界。というのも敢えて構築をすっとばす作業も頻繁に行うからだ。
構築に遊びが無いと息苦しい。でも構築をやめると、無秩序がはびこる。無秩序がはびこると今度は見苦しい。
だから何度もやり直すのだ。「息苦しく無い構築」もしくは「美しい無秩序」を求めて。
これを現実化する方法論と言う物など何処にも無い。偶然性に頼ったり、ただただパッションを信じたり。皮肉な事に素人や機械にやらせた物が一番よかったという事も当然アル。
でも、だからこそプロフェッショナルの存在意義が生まれるのだとも逆説的に僕は捉えている。
結局ビジネス本を読むにつれ、著者に対する感服ともに、ある種の困惑のようなものが湧いて来るのを禁じ得なかった。
というのもこれを読んでいたら「音楽をやめれば、もっと確実に成果を上げれますよ!」と言われ続けているようなもんやんけ!!!と感じたからだ。
本末転倒虫!!!新しい昆虫を捏造してしまった。ああ、これではこの種の本を読んだ意味が無い。
ミュージシャンスーパービジネスマン化計画は今の所とん挫している、、、。
p、s
というわけで、?そろそろ色々と再開します。ブログの方も来週から始める!!ライブの日程の発表も出来そうだ!!!あとはアルバムだな、、、、。
まあ細かい事は気にせず、行きましょう!ってそれが一番ダメだとビジネス本に書いてあった、、。(笑)
う、うるさい!死んだら反省する!!
上田や! 06/5/26(Fr)23:55